隠居の独り言 131

年齢を重ねるのは命の大切と生きる喜びを身をもって感じ、過ぎし日を顧みて生きてきた時間を再認識することでもある。先日、戦時中疎開していた白河を訪れ当時の日々が蘇った。「ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」啄木の詩のように、昔の訛りは聞けなかったのは残念だが、のどかだった東北の白河近辺も敗戦間際の昭和20年には毎日、空襲警報のサイレンが鳴って防空壕や森の中に逃げ、低空飛行のアメリカ戦闘機P51からの機銃掃射の恐ろしさ、近所に犠牲で亡くなった人がいて生涯情景は忘れられない。夜は灯火管制で電力会社からの停電で家は真暗闇だった。関西から疎開先も戦争末期は安全な処は日本に無かった。だから歳になって「今生きる喜び」を改めて嬉しく思う。戦後の食べ物が無く草や枯れ木まで食べた飢餓の経験も、生きる命のあることへの感謝の裏返しだろう。東京に出て小僧を経て商売を始めたが、最初の数年間はひどかった。借りた長屋は10畳ほどの一間でキッチンとトイレは共有、貯めた10数万円で仕事道具を揃え、生地の上で寝起きし、支払いの資金不足で、食べる回数も減らし着るもの買わず、それでも夜、寝床に入り電灯を消すと生きる幸せを覚えた。思えば、戦時中のドイツでマレーネ・ディートリッヒが歌った「望みは何と訊かれたら」という歌は「望みは何と訊かれたら幸せと答えはするが望み叶って幸せになったら、すぐに昔が恋しくなるだろう。あんなに素晴らしく不幸だった昔が・・」過ぎた日は美しく粉飾される。平和の幸せ、食べる幸せは体験者でないと実感がない。これが本当の自分の至福で現代の若者たちが、今日生きる幸せを感謝する謙虚さを持って欲しいが、辛く苦しい経験がないと無理というもの。その意味で生きた昭和の苦労は本当に良かったと思う。今は八十路の坂道を越えて、益々幸せ感が高まっていく。たしかに老いるということは身体機能が衰えて悲しいが、体力が落ち記憶力が落ちても、出来ないのは仕方ないと、老いを受け入れることができるようになったのも幸せだ。数年前までは商売も趣味も全てが発展したいと願ったが気力体力の減退は人生のゴール近いことを示唆している。気持ちの転換を受け入れられたのも八十路の悟りだろう。神さまから頂いた命だから、充実感で人生を全うしたい。