隠居の独り言 121

近所の20代の若夫婦が離婚した。仲良さそうだったけれど実情は分からない。若い男、特に20代の精力が最も盛んで、はちきれんばかりの時期はサガを発散することばかり考える。男として生まれたからには誰もが体験し妄想する女のことは人も生物の一種だから♂の本能的なものはキレイごとでない。「水清ければ魚棲まず」であって、あまり清廉潔白な社会では人として息苦しくなる。ほどほどの濁りや澱みのあったほうが生きやすい社会で、或る一神教の掟では、一日5回の祈り、未婚男女の交際禁止、化粧はご法度、女性は体の線を隠す音楽&ダンスはNO、酒は禁止、姦通は死罪、豚肉は不浄・・禁欲極まった宗教の国や、一人の将軍様の幸せのために餓死者を省みない国もある。話はそれたが、最近の陰湿な性犯罪の要因に男の性の発散場所が無くなったことある。その昔、昭和33年3月31日をもって赤線の灯が消えた。売春防止法が施行され60年以上過ぎたが、これで世間が清く正しくなったわけじゃない。むしろひどくなっている。最近はあの手この手の風俗が隆盛で援助交際との言葉も古臭く感じられるほど素人の女の子の貞操観も地に堕ち、その道のプロアマの垣根が低くなったのは実に嘆かわしい。売春防止法が良いとか悪いとかではなく最近の性犯罪の多くが短絡的で陰湿的なのも裏の世界に入ったからと思う。昔は性に対し奔放で明るかった。男の遊びは暗黙の了解で社会秩序が保たれた時代が長く続き、娘さんも安泰だった。落語ファンの一人だが、古典落語の多くは遊郭にまつわるストーリーで、遊郭の舞台の背景なくして落語はつまらない。「文違い」「三枚起請」「五人廻し」「鰻の幇間」「山崎屋」等々、噺の多くが遊郭を舞台に男と女の騙し合いを面白おかしく内容を進め、最後に上手く落とすのが独特の落語文化だ。歌舞伎「助六」「曽根崎心中」も遊郭舞台は言うまでもない。今昔の男女観が文学にも表れる。木内昇漂砂のうたう」は明治の根津遊郭が舞台で味わい深く人情味ある作品だが、同じ直木賞でも桜木紫乃の「ホテルローヤル」は現代風に世間に背を向けた男女の短編集だが読書感は陰気臭くて好きになれない。平成の男女の感覚からは無理だろうが、風俗の問題は緊急の課題として捉えるべきと思う。