隠居の独り言 132

今年の11月場所が始まった。昔からの大相撲ファンだが、今場所は横綱の白鷗、鶴竜が休場で一人横綱稀勢の里でこの絶好のチャンスに優勝杯を手にして欲しいと切に願うが、初日は彼らしくない相撲で早くも一敗とは先が思いやられる。相撲ファンには悔しいが日本人力士の心技体そして足腰の強さは外国人力士のハングリー精神の旺盛さに負けている。今更ながら大相撲は単なる競技スポーツでなく長い歴史や伝統に培われた日本の神事であり単に強い弱いだけでなく他の格闘技の敵意や残虐性が全くないのが相撲の美学だ。わが家は東京・両国なので近所に相撲部屋が多く存在して、お相撲さんの姿には事欠かないが力士の一日は朝が早い。朝6時から稽古が始まる。朝起きて洗面して、廻しを締め稽古時間に備え、朝食前に2-3時間の猛烈な稽古をして関取になるのが目標だ。新弟子になると必須の6ヶ月は国技館相撲教習所に通い徹底的に相撲道を鍛えられる。授業は朝7時→9時半までが実技で四殷、鉄砲、殷割り、すり足、伸脚など基本を学び、それを繰り返して稽古する。学科は10時→11時半まで学ぶ。学科は相撲史、自然史、社会、国語、書道、相撲甚句、運動医学など・講義は全て日本語講座で、たとえ外国人といえども通訳はつかない。それで居眠りでもしようものなら兄弟子から竹刀を浴衣の首筋に突っ込まれる。外国人力士の日本語のうまいのは普段の生活と、教習所で鍛え上げられた結果とも言える。力士がこうして学んだことが大相撲の美意識、礼儀作法、規範意識の支柱になっている。大相撲1300年の歴史は時代の変化、伝統の保守という相容れない悩みを抱えて続いてきた。土俵も場所の15日間を使っただけで壊して次の場所は新しく造くる。造るのは40人の「呼び出し」で、築き上げるのも最近の建設機械でなく、全てが手作業で道具も昔ながらのモッコやタタキで新しい土を運んで盛り、15尺の土俵の円も7,5尺の縄の人間コンパスで円を描き完成させるという。伝統文化にデジタルは寄せ付けない。奥の深い国技を外国人力士が汚すのはやりきれない。張り手が多い、負けた相手をダメ押し、注文相撲が多い、勝負に拘る、白鵬など横綱の品位がないのが情けない。外国人力士は育った環境が違うので日本の伝統文化を身に知るのは不可能だが、それにしても相撲の伝統美、様式美と懸離れた力士なら日本人、外国人といえども土俵を去るべきだ。今場所が終われば師走がもうすぐ、暦が早すぎる。