隠居の独り言 152

歳のせいかも知れないが年末には子供の頃が思い出される。2018年も後わずか。今は子供が少ないせいか町の路地から子供の歓声が聞こえてこない。昔の路地とは子供の天国で、冬の日でも子供は汗をかくほど動き回って寒さも吹き飛んだ。ホッペはヒビでガサガサになり、手足はシモヤケで、鼻の頭を真っ赤にしながら日が落ちるまで、夢中に走って遊んでいた。いつの間か子供天国は消えた。それは少子高齢化のせいか一人っ子が増え子供同士の遊びのルールも変わってしまった。昔の子供らの世界があり、ガキ大将がルールを仕切っていた。ルールは大人のミニ版だが目上を尊び目下の面倒を見るとの社会の一歩作りであって、ガキ大将はそれなりの貫禄もあった。当時の学校は「男女七歳にして席を同じゅうせず」で学校内のクラスは男女別々だった。朝の朝礼は、まず「君が代」を斉唱し、校長先生の挨拶の後、黒い漆塗り箱から「教育勅語」を恭しく取り出し朗読の間は生徒が黙礼し、それは清々しいものだった。クラスの級長、副級長は先生が選び、赤、緑のフサを付けたが校外でも、ワルサをする子をたしなめる役目も仰せつかった。祝日にはどの家も玄関に日の丸を飾り、学校で式典があった。帰りに紅白の饅頭を頂いた。しかし正月元旦の式の存在は一年のはじめ、けじめとしての行事で、良いものと今も思う。ボクの記憶の祝日は、四方節(元旦)、紀元節、春季皇霊節、天長節、秋季皇霊節、神嘗祭新嘗祭明治節だが、登校し先生から祝日の意味をきちんと教えられた。戦後になってから祝日は学校が休校で意味も曖昧になったのは惜しい気がする。そもそも新年というのは年の始めは白紙の手帖のようなのに誰も気付かないうちに通り過ぎてしまう。学校も勉強だけでなくせめて元旦の式をして、心のけじめの教育も取り入れるべきと新年を迎えるごと感じる。昔の年末は、正月の準備で女性は忙しかったが今は普段と変わらない日々の年末が過ぎていく。時代が変わったが昔の良き習慣を取り入れるのも勉強と思う。今の年末年始は殆ど寝正月で、わが家も集まった孫たちに、お年玉をあげ年賀状を見る。ただそれだけ・これまでのよう年の初めを厳かにしたいけれど、その気持ちも薄らいでいく。これも時代と歳のせいだろう。何もかもしんどい。