隠居の独り言 153

十数年前まで、ギター仲間と老人ホームの慰問をしていた。ボクは弾き語りだが、当時の入居者の多くは戦争体験者で中でもお年寄りに最も受けた歌は「戦友」で入居者の中には,ボクの歌を聴きながら目に涙を浮かべ、泣き出す人もいた。♪ここは御国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて友は野末の石の下・・「戦友」は日露戦争の軍歌だが、譬え軍歌といえども、叙情的な歌詞は得も知れぬ哀愁心と祖父達の命を賭し国を守った誇りの軍歌の最高傑作だろう。軍歌は兵士や国民が戦争を鼓舞する意味で作曲されたが、歌詞やメロディーの良い歌が多く、大勢の人々に愛された。子供たちも学校の帰りには誰となく大きな声で斉唱しながら帰路につき家族も遠くから聞こえる歌に安心し子を迎えた。ラジオもテレビも無かった時代の古き良き遺産ともいえる。♪貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭に咲く・・西城八十の「同期の桜」は、夢と希望を持つ名曲だろう。他にも、敵は幾万、上海だより、加藤隼戦闘隊、露営の歌、若鷲の歌、ズンドコ節、梅と兵隊、愛馬進軍歌、麦と兵隊、愛国行進曲海行かば、暁に祈る、ラバウル小唄、軍艦・キリないほどの軍歌は、当時の一流の作詞家、作曲家によって作られ愛唱歌としてみなに親しみをもって愛された。戦後になって戦前全て悪のGHQ指導で軍歌はご法度で歌われなくなったが、決して軍歌が悪いのでなく歌を知れば意味の奥深い日本の軍歌を好きになるだろう。あれから10年以上が過ぎ、現在の老人ホームから軍歌は消えた。敗戦の惨めさを後世に伝えようとする機運は高いけれど、惨めさより、いかに日本の誇りを取り戻すことを望みたい。絶滅危惧種の軍歌はボクの脳裏に充分残っている。