隠居の独り言 179

昨年暮れにイジメが原因と思われる中学2年生の自殺があった。学校の対応は今まで同様、校長と教育委員長の言い訳ばかりで「自殺に結びつける行動に気付かなかった」 「二度とこのようなことのないようにしたい」このシーンをテレビで何回見たことだろう。校長もパニックだが生徒を最も知っているはずの担任の姿がない。担任が姿を見せないのはなぜだろうか。自分の子供ならどうする。実は教師として答える言葉を知らないからで、これでは死をもって訴えた中学生が浮かばれない。すぐ校長と担任は教える責任で辞職するべきだが、そんな立派な先生を一度も見たことがない。いじめはいけないに決まっている。生徒達に善悪を教えるのは、どうすればいいのだろう。先生はとりあえず「いじめはいけない」「暴言は悪い」「暴力は悪い」と言葉で言うしかない。でも生徒が「何で悪いの」の問いに答えられなければ先生の資格が無い。おそらく答えられないだろう。先生の善悪と教えることの偽善を、生徒は看破しているからだ。そもそも大学を出てすぐに学校の先生になること自体間違っている。子供を教える立場の先生は、或る程度の社会の経験を経て、或いは慈善事業の体験を経て、教師国家資格を与えないと生徒に教えることは無理だと感じる。医師も国家試験をパスして2年間の研修を積まないと正式の医師になれない。教師という重要な職業も社会の研修期間を持つことが人を教える資格と思う。実際、教師が泥棒をしたり、買春したりするケースが絶えないのも社会勉強の不足と思う。戦前の男は二十歳で徴兵制度の軍隊生活2年を課せられた。平成のモラル感とは違うけれど、軍隊の厳しさも仲間同士の戦友の優しさも身を持って覚えたものだった。戦前の教師は、その年齢後になるのは言うまでもない。男ばかりでなく女性も、それなりの礼儀作法や躾を教えられきちんと身につけていた。善悪は社会そのもので自分がよければいいというものでない。言わば教師だって社会の中の一員であり、社会がなければ生きていけない当たり前を教えるのが先生の仕事だとおもう。喜びも苦しみも悲しみも体験し、社会の中の研鑽で、本物の善悪をきちんと知ってほしい。戦前を偲ぶわけではないが先生とは素直に尊敬でき恩師の名にふさわしい方だった。もし生徒イジメに気づけなかったら、教職を辞するくらいの責任と覇気がほしい。自殺した中学生が哀れでならない。