隠居の独り言 180

正月この一か月に神田明神湯島天神日枝神社乃木神社を詣でたが、日本人はやはり神道が似合っていると無信心は思う。宗教とは最初に生まれた場所の風土や、そこに住み慣れた人の生活基盤が色濃く反映されるもので中近東の厳しい乾燥地帯で生まれた一神教ユダヤ、キリスト、イスラムとそれぞれの派に分かれても、絶対的な創造主は単一であり、兄弟のはずなのに、何故いがみあうのか。キリスト教でもカソリックプロテスタントの長い紛争の歴史や、イスラム教でもシーア派スンニ派の争いも1000年以上も続いている。宗教を国教としている国は多くあって国旗を見ても十字の模様のデザイン柄はその国の心根を物語る。日本は温帯に位置し豊かな美しい自然と巡り来る四季があって人間も含めた生きとし生きるもの全てが生死を循環しながら命は永遠に続くものと信じられ、その中から生まれたものが神道だった。なかでも優れた森の木々や神秘的な滝や川、美しい山の姿などが信仰の対象とされ、人でも秀でた方、自然体そのものが神であり、御神体は自然が作り出す「霊」であるのが、神道の基本だと思う。そこへくると一神教は森林の中は悪魔の棲むところとされ、かつてキリスト教徒がヨーロッパ北部やアメリカ大陸に移り住んだ時代に、大陸の壮大な森林地帯は彼らによって切り倒されて牧草地となり羊や牛の餌場となった。西洋の童話や、ハリー・ポッターの世界も不気味なのは自然の森であり、日本の童話とは価値観が違うのは、宗教的な意味合いが根から同じでない。キリスト文明は世の中があくまで神が創造し祝福されたものでないと、例え地球が大自然を作り上げたものも「悪」になってしまう。日本は6世紀に大陸からの仏教を取り入れたが、仏教にも自然の中での輪廻の精神があり、生まれる喜びや、死んでいく別離の悲しみを「悟り」とする観念が受け入れられたのだろう。一神教多神教の良し悪しは別にしても、互いに相容れぬ頑なさは妥協がありえない。西洋と仲良くするのは、心の中に相違があるのを承知の寛容がないと上手くできない。