隠居の独り言 182

最近とみに年齢を問わず、美人が少なくなったと感じている。美人といっても外見じゃない。項は自分の偏見で書いている。美人観には、人それぞれ判定基準の違うのは当たり前だが,更に自分が生きた昭和から平成に至る時代を経て女性観も結婚観も変わる。昭和の結婚は仲人が取り持つ縁が大半で恋愛はふしだらとされた。理想の新婦は、楚々として可憐で夫に尽くすひたむきな性格の女性が新婦の模範的とされた。でも戦後になってアメリカンナイズは一挙に恋愛観が変わり、束縛されていた女性が感情を顕に謳歌する時代になった。現代は男女均等雇用法が施行され人としての自己を持ちしっかりと見識があって仕事ができる女性が求められる。女性の地位が高くなったのは歓迎だが、それだからって女らしさの特有の優しさ、謙虚を忘れてはならないと思う。男にも男の強靭な精神と、力強さがないと男といえない。男女の馴れ初めは見た目で決まるのは昔から不変だが以後の付き合い方と人情味の有無で人生が大きく変わる。手弱女(たおやめ)という言葉がある。たおやかな女性、優しい女性の意味で、しとやかさ、しなやかさも含まれる。与謝野晶子の詩に「手弱女がましろに匂う手を上げて褒むべき春となりにけらしな」女の指の柔らかな動きを思わせる。「手弱女」に対する男の表現は益荒男(ますらお)の男で、荒々しくも、か弱い女を守る正義感と力強さを秘めている。「器量」という言葉があるが意味は二通りある。一般的に女の器量は顔立ちを指すが、男の器量は才能を指す。しかし男も女も器量人は、生きていくうえでの喜怒哀楽、幸運や不幸、様々な経験を受けいれ貯めて醗酵できる能力であり、年老いてなお美し、という生き方に備わる。時代が変わっても男も女も、かくありたいと願っている。