蓮の花

harimaya2017-07-24

上野不忍池の蓮の花が満開になって池も夏模様です。
♪ひーらいた、ひーらいた、レンゲの花がひーらいた・
わらべ歌のレンゲは春の花でなく、夏に咲く蓮のことで
「泥より出でて泥に染まらず」濁った泥底で育ったのに
信じられないほど清らかで美しい姿を見せる蓮の花は
自分の不遇を嘆きたくなる時、花に元気を頂くだろう。
池之端のベンチで水面を何気なく眺めていると時おり、
蓮の葉の下から大きな鯉が顔を出し餌をねだっている。
何もなくてごめんね。鯉とお互いの目が合う。昼寝がしたくなるような、のんびりした不忍の夏。

隠居の独り言(1602)

自分の八十年余りの人生を降り返って、数えきらないほどの人と付き合い、それらの人から
上手く怠ける方法を習った気がする。大阪で生まれ、戦時中の疎開福島県白河に引っ越し、
戦後は父の故郷の姫路に暮し、15歳で上京し小僧を経験して独立し、現在の帽子屋に至る。
八十年間の人生は言い尽くせないが、何より出逢い別れの連続が人生を彩っていると思う。
リュック一つで上京し志は江戸の地で成功の夢だったけれど、そうは簡単に卸してくれない。
無我夢中で仕事を覚え、独立後も無駄を省き、朝早くから夜遅くまで何年間も休まず苦しくも
希望に満ちていた日々・・その習慣からか孫も出来た今でも、ちまちました生活を続けている。
商いにしても、家族にしても、友人にしても・・・人間として生きていかなければならない以上、
お金もいるし、住む家もいる。人生が終わるまで余裕が無くては今までの苦労も水泡に帰す。
金持ちでも貧乏でもなく、人間として人から侮蔑もされず他人さまを侮辱することもしないし、
ほどほどで生きるのが気楽でいい。それでも人さまから嫌われることもあるし嫌いな人もいる。
人間関係というのは難しいもので以前はあれほど好きだったのに時が経てば顔を見ることも
思い出すことさえ嫌悪感が付きまとう。それでも人生の一コマとして存在していたのだから、
大事にしていかなければと思う。様々な人との出逢い別れが走馬灯となって写し出されるが、
殆どが忘却の彼方に去っていく。自分も84歳。そろそろ死を意識するようになってきている。
人生の終わりには死を恐れる人が多い。死は怖くないという人もいるが、あれは虚勢であって
本心でないと思う。誰だって死は恐ろしい。時たま盆の季節だったので生と死を考えてみた。
特別の宗教心や信心があるわけでないし、日本人特有のよろずの神の一人の信者だから、
せめて日本的美学で世を去りたい。残された人から後ろ指を指されないよう静かに世を去る。