2004-01-01から1年間の記事一覧

良いお年を

来年は酉年、みなさま鳥のように羽ばたいて大いに躍進しましょう。 良いお年をm(__)m

小僧(22)

戦後から最近にかけて半世紀、帽子を被らなくなったと、つくづく思う。 街の中でもご婦人はときどきお洒落で被っていらっしゃる方は見かけるが 男はお年寄りかスポーツ選手ぐらいしか被らなくなってしまった。 戦前の写真など見ていると盛り場など無帽の人を…

御用納め

今日で会社の仕事も一年の終わり。このブログ日記、 播磨屋の「うたかた記」も冬休みに入らせていただきます。 半年前、越後屋さんのお勧めで始めた日記もどこまで 続くか自信はありませんでしたが、今日まで来られたのも 私を支えてくださった、みなさまの…

小僧(21)

人の生涯は遺伝子三分、環境三分、努力三分、一分の運で決まると云う。 私の遺伝子は父の家が姫路藩の士族で母の実家は大阪の商家の娘だった。 祖父母は士族の“家”に縛られた古風な頑固さで昭和の代まで跡取りの 結婚相手は士族でなければならず、ために父は…

イエスと釈迦

クリスマスが終わり日本人の殆んどが大晦日に 向かってあわてて宗教改革、忙しいことで(^^♪ 私も無宗教で困ったものですがイエス様の磔像は なんと残酷極まりなくあのお姿だけはどう見ても 日本人向きじゃない。いくら人々の悩みや苦しみを 背負ってくださる…

小僧(20)

小僧が22才の春、社長が初めて名刺を作ってくれた。会社名と営業部と印刷された 私の名前を見たとき、これで大人になれたんだと感無量の思いがした。そのほかにも スーツやネクタイ、靴も新調していただいた。それは二人の番頭さんが病気などの 理由で相次い…

台湾

李登輝さんが来日することで中国がまたイチャモンをつけているが大人気ない。 いちいち細かいことまで日本に指図する権利があるのかと聞いてみたいものだ。 台湾が中国の固有の領土だと言うが清の時代だって台湾にはいい加減なものだった。 明治の初期に沖縄…

クリスマス

今日明日は日本人のほとんどがクリスチャン。きっと イエス様もお喜びになっていらっしゃる事でしょう。 私が幼い頃、母の勧めで近くの教会で聖歌隊に入って みなで賛美歌を歌ったこと、私がイブにHoly nightを ソロで歌わせてくれた牧師さん、つい昨日の気…

小僧⑲

住んでいた浅草橋近辺の一年の最大のイベントは鳥越神社の祭礼だった。 町並みは江戸の昔からあまり変わらずに小さな町々には氏神様があって 年に一度のお祭をするのだが、同じ日に合わせて行い、その中心が鳥越神社で 千貫神輿はその象徴的存在だった。祭り…

プッチーニ(1858-1924)

蝶々夫人、トスカ、ラ・ボエームなどお馴染み深いオペラの 作曲家は1858年の今日イタリアのルッカに生まれ成功を収めるが その音楽の美しさ、奥深さ、舞台効果の技巧など大衆の心を意識 しての華麗な作品の数々は他のオペラ作曲家の追従を許さない。 特にソ…

だるま

♪ダルマさんダルマさん、にらめっこしましょ、 笑うと負けよ、アップップ(*^_^*) 年末年始になると、あちこちで達磨市が開かれる。 禅宗の開祖、達磨大師は南インドの国王の子として 生まれたが中国の嵩山少林寺で壁に向かって座禅を 組む事9年「面壁九年」…

小僧⑱

戦後の混乱期も徐々に薄れてきて掘立て小屋も無くなり建設ラッシュで道も舗装されて 都会らしい雰囲気が生まれてきたような気がする。TVが出始めて白井義男のBOXINGや 力道山のプロレスなどは街頭TVに人は殺到した。ゴジラ、ローマの休日、七人の…

日韓関係⑦

日本は孤絶した地理的な環境のなかで生きてきたので世界中から 特殊な国として見られていたに違いない。まして韓国からみれば 地学的にも、太平洋は日本列島に遮り覆いかぶされて、後ろには 中国やロシアの大国に圧迫を受けて柵の中に閉じ込められたような …

一陽来復

今日は冬至、一年のうちで最も昼間が短いので 昔の人は「冬至から畳の目ほど日が伸びる」と 言ったそうですが畳の部屋も少なくなった昨今では 風情も季節感もいまひとつの時代になって淋しい。 それでも今日は小豆粥や南京食べて柚子湯に入り 一陽来復の幸せ…

小僧⑰

小僧もハタチになりました。当時は成人式の式典とて無く(あったかも知れない) 区役所から区長さんの印刷されたお祝いのメッセージと万年筆が届けられました。 特別の感慨は無かったけれど母からの手紙に「お前も大人になったね」と短い文章で 書かれてあっ…

日韓関係⑥

紀元前から六世紀あたりの間の約1000年間、大陸の各種の戦乱を逃れて 日本列島へ大量の難民が流れ込んだ。日本古来の縄文人と弥生人との 入れ替わりも決して無関係ではない。現在の多くの日本人たちのルーツは ツングースやモンゴルや朝鮮族たちの大量の亡命…

CGEとクリスマスコンサート

土曜日にCGEさんのお招きで共演させていただきました。CGEのMさんから メキシコ製のポンチョをお借りしてイタリア製のテンガロンハットに身を固め、格好良く?して 日本の歌やクリスマスメドレーを観客の方々と一緒に歌いました。http://d.hatena.ne.…

ピアノ発表会

昨日、孫たちのピアノ発表会がありました。 いつも思うのですが子供たちにはアガル事がない。 幼い子がブルグミュラーをことなげに弾いている。 練習時にはつっかえつっかえしている曲もスラスラ 弾いてしまう神経の素直さには学ばねばと思う。 大人は余計な…

小僧⑯

当時の大店や商店、問屋にはたいていは「ねえや」の一人や二人は働いていた。 主に旦那さん宅の家事のほかに従業員の食事の賄いや細かい生活の配慮などして 従業員たちは「ねえや」に頭が上がらなかった。東北出身のE子さんは色が白くて チャーミングで二十…

日韓関係⑤

戦後の朝鮮戦争のドサクサまぎれに1952年にどこの国の承認なしで 勝手に日本海に李承晩ラインを設け多くの日本漁船を捕獲没収したり 日本固有の竹島を占領し、いまだに返還しようとしない。当然日本は 国際司法裁判所に訴えたが、韓国は動かずに今でも無視を…

八百(やおよろず)の神

明日は某コンサートでクリスマスソングを歌います。 私は「こよしこのよる」を歌い心からキリスト教徒。 大晦日には除夜の鐘でおごそかに仏教徒に変身。 年が明けたら初詣で神道の神様に手を合わせる。 正月行事は道教や儒教などで諸々の願い事をする。 「あ…

小僧⑮

♪もういくつ寝るとお正月、こんな子供心のような待ち遠しい正月の三日間だった。 元旦の朝早く、土産の荷物を背負って東京駅から故郷へ旅立った。上京したころの 東海道線は沼津から先はD51の蒸気機関車で沼津駅で電気機関車と連結替えのために 30分ほど待つ…

日韓関係④

「古代の日本の全ては我々韓民族が作り上げたもので 今の日本の経済発展のベースは我々の祖先によって つくられたものであり日本はその恩を忘れて朝鮮に 侵略し文物や人材を略奪した」 これが韓国の歴史の教科書で戦後の韓国人の常識として まかり通ってきた…

田中角栄(1918-1993)

「嗜好=鮭の頭と大根煮、油みそ。 銘=石の上にも三年」 郵政大臣当時の角栄は選挙公報にこのように書いたそうな。 貧しい少年時代から晩年まで質素な食事は変わらなかった。 角栄の評価は人によって違うがナニワブシ大臣を私は尊敬する。 小唄や都都逸がお…

孫五人

年の瀬になると今年一年の我が家を振り返る。 春には次女一家が赴任先の下田から帰京した。 夏には長女に初孫が出来てこれまた目出度い。 孫たちに囲まれての生活はジジ冥利に尽きる。 ジジババもつつがなく過ごせることが出来た。 ともかく平穏無事だった今…

小僧⑭

今でもそうだが年の瀬になるとなにかと気ぜわしい。冬の季節感が無くなった 昨今の暮れ風景はいつもの月々とたいして変わらないが、あの時代の師走は 忙しかった。暮れの大掃除する日は町内ごとに決められて家ごとに窓や雨戸は 全て開け全員総出で屋根裏から…

日韓関係③

19世紀以前の約1000年は朝鮮は中国王朝の属国に甘んじていた。 民族独立の気運もそれほど高ぶらなかったのも諦めて退廃した意識が 多分にあったに違いない。元の日本侵入も、お先棒を担がされたし 秀吉の中国侵攻も、明王朝への行く手を阻んで中国を助けた…

伊豆下田

今日の東京はしんしんとして寒さが身に沁みますが 昨年までは娘夫婦の転勤先の伊豆下田へちょくちょく 出かけたものでした。かの地は気候温暖、風光明媚な ところで、この季節アロエが咲き、水仙もほころびて その他、金目鯛をはじめサカナが美味しく、おす…

小僧⑬

今年は台風の多い年だったが戦後の一時期も多数の台風が日本列島を襲った。 占領軍はなかなか洒落たことをして台風には女性の名が付けられ恐ろしさを 少しでも和らぐ配慮だったのかも知れない。アイオン、スター、カスリーン、 ジェーン、キティー等々、しか…

日韓関係②

明治の初期に西郷隆盛ねどが「征韓論」を唱えた事は確かだが それは攻めるのでなく、清国の属国からの独立を勧めることで 韓国が実質的に強力な国家体制を作る事が極東の平和に繋がるのを 考えたからで、それが実現していたら日清、日露の戦争もなかった。 …