小僧(20)

小僧が22才の春、社長が初めて名刺を作ってくれた。会社名と営業部と印刷された
私の名前を見たとき、これで大人になれたんだと感無量の思いがした。そのほかにも
スーツやネクタイ、靴も新調していただいた。それは二人の番頭さんが病気などの
理由で相次いで辞めて、私が年齢のわりに早く一線に立たざるを得なかったからだが
営業先は問屋、官庁、商社だったが問屋の場合、毎日の御用聞きの他に年に二、三度
熱海、湯河原あたりの温泉で組合主催で見本市が行われ得意先を招待してお座敷で商売を
したが、その日に備えての品揃えや持込などに縁の下は大変な思いをしたものだった。
官庁は防衛庁の係りを仰せ付けられ予算の時期になると(当時は越中島、今の商船学校)
指名業者間での談合で生地や付属品の調達方法、価格などが話し合われ、入札、検査、納入
までの仕事の役所周りも結構忙しく、気の抜けない仕様の仕事なので縫製の方も目の離せない
ことが多く苦労した。商社は輸出関連が多くて注文数は一番なのですが納期が早いのが
難点で商品作りの振り分けに頭を痛め、仲間業者に頼んだりして帳尻を合わせていました。
どちらにしても22才の若造が業界の先輩たちの見よう見真似で、これらを、こなすわけだから
失敗や勘違いなど多くそのたびの謝り行脚に明け暮れながら一つ一つを覚えて身に付けた。
でも今に思えば気苦労もあったが、あのころが最も自らの成長があったのかも知れない。