2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

小僧日誌 その七、

奉公先には10数人の小僧がいたけれど、大抵は田舎の次男以下で家を離れねばならず、10代で故郷を出た者ばかりだった。「ふるさとの訛り懐かし停車場の・・」啄木の詩のように、各地から小さな手荷物と、地方の訛りを持って故郷の停車場を後に上京した。彼ら…

小僧日誌 その六

話は前後するが、小僧の日々の生活の基本は、朝は起床午前5時、就寝は午後10時で、就業時間はAM8→PM9時まで・・食事時間を除いて仕事に明け暮れた。就寝前に洗濯や服や靴下の糸繕い(当時は生地がスフで年中破れた)は欠かせない。朝食時間7時までに掃除、火…

小僧日誌 その五

一口に帽子製造といっても種類によって工程が大きく違っている。生地を裁断、縫製の学帽、キャップ、婦人帽・・手編みや機械で編むベレー帽、ニット帽・・麦藁や真田を手加減で仕上げるカンカン帽・・フェルトやパナマの帽体を仕上げる中折れ帽・・等々それ…

小僧日誌 その四

話は落ちるが付き合って頂きたい。小僧になりたての頃、恥ずかしかったのは銭湯で裸になること、そしてトイレ。会社は未だ昔ながらの汲み取り式のトイレだった(半年後に水洗になったが)当然ながら和式で、田舎のような外の開放感も無く、当然ながら臭いし…

小僧日誌 その三

店の正面玄関のたたきの上は二十畳ほどの応接部屋があって中央には長火鉢が置かれてありました。お客に対して今のように応接部屋もセットも無かった時代。長火鉢は当時の接待のひとつの道具であって長火鉢を挟んで商談をしていました。長火鉢には引き出しが…

小僧日誌 その二

仕事上の小僧の苦労はさておき、上京して初めて体験したこと、嬉しかったこと数えきれない。田舎も極端な食糧難の時代、涙が出る程嬉しかったのは、三食白いご飯が食べられたこと、ご飯の味さえ忘れていた。何も要らない。丼一杯でも一汁一菜でもこれ以上の…

小僧日誌 その一

近くの小学校の音楽室から卒業式に歌われる歌が聞こえる♪仰げば尊し我が師の恩・・もうこの学校に来ない。別れる涙は生涯唯一の哀しきくもまた希望に溢れた歌だけど、ボクに照らし合わせれば、もう70年前に涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら歌っていた。この年…