小僧日誌 その三

店の正面玄関のたたきの上は二十畳ほどの応接部屋があって中央には長火鉢が置かれてありました。お客に対して今のように応接部屋もセットも無かった時代。長火鉢は当時の接待のひとつの道具であって長火鉢を挟んで商談をしていました。長火鉢には引き出しが付いて中身はソロバンや簡単な記帳綴り、茶道具の他にお茶菓子が入っていました。お客への接待の一式でいつも旦那さまか番頭さんが座りお客が見えると番頭さんが火鉢に沸いている鉄瓶でお茶を入れお茶菓子でおもてなしをした。ボクの役目は朝一番に起きて炭をおこし火鉢の中の炭に火をつけ、他に会社の中の5個の七輪に練炭に火を点けることで、慣れるまでには時間も掛かって苦労した。みなが仕事に付くまでの時間に、煙で涙を流しながらの作業の苦労は今も忘れられない。練炭の火の寿命は7,8時間で冬は暖房同様だったが、帽子の仕上げのアイロン役も兼ねているので四季を通じて火灯っていた。仕事の帽子の庇部分の表生地と芯に糊を貼り手製のムロで乾燥させる工程の一部は、その糊の匂いが工場に立ち込め異様な臭いの中で仕事に明け暮れた。環境的には決していいとは云えないが、仕上げを担当する者にとって火加減も重要だった。新入りの小僧の役目は仕事より雑用が多く、終わればすぐにコメを研ぐ。つぎは別の小僧の朝ご飯の順番だが、炊事、朝食、掃除、洗濯、後片付けを忙いでしないと出勤する職人たちの仕事の手順に関わる。戦後の三種の神器と言われた洗濯機、冷蔵庫、テレビは未だなく掃除機、炊飯器もまだまだで、手作業の家事は小僧の役目だったが、朝の家事が終わるとミシンに座って帽子の縫製・・昼間は通いの女工さんが手伝ってくれたのが助かった。慣れない家事や汚い下水処理も田舎っぺだからこそ出来た。世相は下山事件、松山事件、三鷹事件など国鉄に絡む事件が気持ちを暗くした。