2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

小僧日誌 その十八

竹が生長する過程で“節”を付けていくように人の一生も“節”を付けながら人生が過ぎていく。そのときは気付かなくても、あとで振り返って“節”だったと思い起こすことは誰もが経験する。14歳で上京して13年が過ぎ、20代後半ともなれば今後の人生設計を決めなく…

小僧日誌 その十七

病院の夜の松林は恋の天国だった。明日も知れぬ身となれば歌舞伎の「道行き」のようで、恋を遂げようとする命の燃え方のしたたかな行為は不謹慎でも看護婦も見て見ぬふりをした。人生は二度とないから、命も限られているから、不幸にも先の見えない患者には…

小僧日誌 その十六

当時の肺結核に対する考えは偏見に満ちたものだった。肺結核は空気伝染で、罹れば死病とされ人から敬遠された。仕事どころか周りの人との接触も不可で自ら立ち去るしかなかった。石川啄木、樋口一葉、正岡子規、滝廉太郎など肺結核で夭逝した偉人賢人は多い…

小僧日誌 その十五

小僧はずっと学歴コンプレックスに悩んでいた。仕事で官庁関連や、新しい友との初対面に、必ずといって最初の話題は出身校であり人の値打ちの基準になる気がしてとても悲しかった。学歴の話を避けるように話題を変え商談や友人との付き合いにも気後れしなが…

小僧日誌 その十四

当時の男の道楽は「ノム・ウツ・カウ」の三つだが、まずその一番目の「ノム」は、小僧は下戸で、お酒は全然ダメ・・酒が百薬の長であることは承知している。晩酌一合、体にいいという。「酒なくて何の己が桜かな」下戸は人生の半分を損していると思う。酒好…

小僧日誌 その十三

帽子職人の仕事は主にミシン掛けだが、大抵の職人はラジオを聴きながら仕事をしている。当時のラジオは家の中では一番の近代設備で天井に近い棚の上に置かれ隣は神棚だった。ラジオのある家では終戦の玉音放送もその場所から聞こえて、まさに天上からの声だ…

小僧日誌 その十二

仕事は順調だったけれど、小僧が全て順風満帆というわけでない。道に外れた時もあったし、悪夢の日も忘れかけた、そんなある日、母からの手紙で、父が戦時に負傷した傷の悪化と、結核の再発で、少しでもいいから送金してくれないかの便りがきた。今までの様…

小僧日誌 その十一

東京に出てきて、はじめて見た映画は何だったか記憶にない。今と違ってあの頃は大抵の人は映画を観るのがいちばんの楽しみだった。小僧は月一度の休みの昼間は自転車の東京見物だったが、夜は近所にある映画館に観にいった。お金がないから封切館は行けない…

小僧日誌 その十

小僧が22才の春、社長が初めて名刺を作ってくれた。会社名と営業部と印刷された自分の名前を見たとき、これで大人になれたんだと感無量の思いがした。そのほかにもスーツやネクタイ、靴も新調していただいた。それは二人の番頭さんが病気などの理由で相次い…

小僧日誌 その九

先輩の家に一週間ほど泊めてもらったが、先輩が詫びを入れて会社に戻るよう叔母に頼んでくれ、社長と叔母にこっぴどく叱られて元の職場に戻れた。再入社してしばらくは真面目に仕事に取り組んだ。役所からの指導で夜遅くまでの残業はなくなり、休日も月二回…

小僧日誌 その八

上京して4年目の春、18才の小僧に生涯忘れられない事件が起きた。当時、学帽を作っていた帽子屋は、大学の合格発表の日に合わせ、各大学の校門近くで、露店を出して売るのが慣例で、待ちに待った儲けどき・・合格した生徒たちは、そこで学生服や帽子を買い揃…