小僧日誌 その十五

小僧はずっと学歴コンプレックスに悩んでいた。仕事で官庁関連や、新しい友との初対面に、必ずといって最初の話題は出身校であり人の値打ちの基準になる気がしてとても悲しかった。学歴の話を避けるように話題を変え商談や友人との付き合いにも気後れしながら生きていた。通学していないと公共施設や映画館その他諸々の学割は受けられず、小僧の心は痛んだが、学生たちに嫉妬を感じた。帰郷の際、親しい友が自分の名で騙って学割を申請してくれたが、遠い故郷なので助けられた。街で大学生を見れば、わが身を嘆き、六大学野球高校野球ラグビーなどの学生のスポーツは好きになれなかった。学歴は一生消えない入れ墨のようで今さら望んでも仕方ないが、プッツリ切れたのは独り立ちを望んだこの時期だったかも知れない。“若さ”のいいところは傷つきやすい面と、立ち直りも早い面の持ち合わせで、大人になっていく過程で、悩んだり羨ましがったりしながら、時は過ぎていく。ヨーロッパに「知識より知人」という格言がある。欧米の社会では、アレも知っている、コレも分かるといったタイプの人は通用しない。「あの人を知っている」のほうが大切で、会話と仕草のセンスで相手に接する。それは商いに通じるものであり、知識より人を惹きつける資質が必要と思う。閑話休題・・上京して10年余になり、帽子を作る職人として、帽子を売る商人として、要領など覚えて、独り立ちを考えていた頃、自分にとって予期せぬ過酷な運命が待っていた。それは25歳の秋のある日、仕事中に突然胸が息苦しくなって呼吸困難になり苦しくて倒れ、病院に行って、検査の結果、医師から「肺結核による突発性自然気胸」と診断された。肺と胸筋の間の肋膜に穴が開き、空気が入り込んで肺を圧迫する病気で、医師はその場で胸から太い針を刺し、肋膜に溜まった空気を抜きとって一応苦しさから解放されたが、一週間後に再発し、医師は、自然治癒のため静養しかないと長期入院を薦められた。目の前が真っ暗になった。