2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

隠居の独り言 75

先週NHK大河ドラマ「西郷どん」は「薩長同盟」だったが、歴史の節目からいえば黒船来航を機に日本列島辺境の薩摩と長州が手を結んで中央の幕府を倒すのは必然の大河の流れで18-19世紀という時代は日本のみならず、世界各地が大きく変貌を遂げた節目の世紀だ…

隠居の独り言 74

瀬戸内寂聴の「現代語訳・源氏物語」を読んで主人公の光源氏が恋した年上の女性の多さに、平安時代の昔は現代と違って女性上位の時代だったのかと思ってしまう。最初の恋の藤壺は5歳年上、正妻の葵も4歳年上だがそれに飽き足らず愛人の六条御息所は7歳も年上…

隠居の独り言 73

子供の夏休みが終わる。しかし悲しくも許し難いデータで18歳以下の自殺者数のデータによると、この50年間で自殺で亡くなった人が最も多いのは「9月1日」だという。その殆どが、イジメが原因で、理由も暴言、暴力、無視、セクハラなど・・多々あるけれどLINE…

隠居の独り言 72

八月も終わりに近づき、先の戦争の回顧のひとまとめする。昭和15年4月ボクは大阪市西成区岸里小学校に入学した。その年の記憶で覚えているのは「皇紀・紀元2600年」での数々の行事で街に花電車が走り国を挙げての祝いだった。♪金鵄輝く日本の 栄ある光身に…

隠居の独り言 71

近々煙草税が上がる。煙草は体に悪いと知りながら止められない。最近の夏の夜は自然のホタルより人間のホタル族のほうが圧倒的に多いという。「煙草は優しい麻薬である」脚本家で作家の久世光彦が上手いことをいった。健康に良くないと知って吸うのは意思弱…

隠居の独り言 70

田舎から上京して二年後の1950年6/25日、朝鮮半島を南北に分ける北緯38度線で突如、戦争の轟音が響いた。その日に北朝鮮は韓国に向けて宣戦布告し砲撃を開始し、戦車部隊を先頭に北朝鮮が38度線を突破し朝鮮戦争が始まった。今現在の朝鮮問題の発端はこの日…

隠居の独り言 69

人はみな敵を持っている。敵は少ないに越したことはないが、生きている限り生存競争で敵に包囲されているようなものだ。でもライバルは自分を成長させてくれるのも事実で、多くの敵と戦ってきた経験と競争が将来の成長を大きく左右する。ボクの次女に5人の孫…

隠居の独り言 68

大阪富田林署から逃走した男は未だに捕まらないようだが、犯人も若い女を狙った、ひったくりや強姦など相当なワルだ。最近の凶悪犯罪は自己中心的で通行人からお金や物品を強奪するのが通常のようになってきているが日本人の心も随分と堕ちたものと思う。今…

隠居の独り言 67

暑い夏は寒いシベリアの痛恨を想起させる時でもある。江戸時代の後期に幕府の下役人で千島のエトロフ島に赴任していた間宮林蔵が、地理や算術の才能を持って同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び、幕府から享和3年(1803年)西蝦夷地を測量することを命じ…

隠居の独り言 66

日本は少子高齢化が進んでいる。しかもOECD諸国の中で最も少子高齢化が進んで世界の、どの国も経験したことない加速度的スピードで人口減少と高齢化が進行しているという。先月、厚生労働省から発表された人口統計でもはっきりした。日本の人口経緯を振り返…

隠居の独り言 65

ここのところ田中角栄元総理を回顧する雑誌の記事が多い。戦後最大の疑惑事件だったロッキード事件が起きて今月で半世紀近くが経つ。事件の詳細には今更の感がするけれど田中角栄は雪深い新潟に生まれ極貧の少年時代を経験し、小学卒業後は現地の木材店に勤…

隠居の独り言 64

昔の童謡に「いろはに金平糖、金平糖は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるはバッタ、バッタは青い、青いはオバケ、オバケは消える、消えるは電気、電気は光る、光るはオヤジのハゲアタマ」誰もが歌った歌だが、最後のハゲ…

隠居の独り言 63

地球上の生物で人間だけが嘘をつく。余りに嘘が多いので和尚は言った「嘘をつくとあの世で閻魔さまに舌を抜かれる」童話でもウサギを騙したタヌキは最後は泥舟で沈められる。ピノキオは嘘をつく度に鼻がどんどん伸びて長くなっていく。人生は嘘で固められて…

隠居の独り言 62

夏が来れば思い出す。其の十一。当時の職人は朝鮮人も多く彼らは戦前に朝鮮半島から渡ってきて職を身に付けるため帽子職人で働いた人が多い。戦前の朝鮮は日本の一部で人々は日本人であり、傍にいても違和感が無かったけれど、昭和24年の集団窃盗犯逮捕に絡…

隠居の独り言 61

夏が来れば思い出す。其の十。今年も8月15日が来た。この年に生まれた人は今年73歳になる勘定で、この辺りに生まれた人達は多少のひもじさを知っているが戦争体験や戦前の大日本帝国という我が国の誇らしさは理解できない。団塊の世代以降は映像や書物等でぼ…

隠居の独り言 60

夏が来れば思い出す。其の九。上京して小僧になったのは昭和23年14歳の時。東京大空襲で丸焼けになった東京の復興はまだ完全でなく、勤め先の浅草橋から「浅草松屋」のビルが見えていた。小僧は10人部屋の一部を与えられて仲間と共に寝食を共有したが、唯一…

隠居の独り言 59

夏が来れば思い出す。其の八。姫路の街も戦災跡がバラックから徐々に家が建ち始め徐々に明るくなった。それでも人間にとって、生きることは食べることだった。食料の配給制度はあったけれどあれは形だけのもので日本中が闇商品や闇米をめぐって生死を彷徨っ…

隠居の独り言 58

夏が来れば思い出す。其の七。戦争が終わって、もう空襲の恐怖は無くなったけれど生活は以前より厳しさを増していた。父の勤めていた硫黄の鉱山は弾薬の材料で、軍需産業は戦争の終結で会社は解散し、当然に父は失業の憂き目で収入源は閉ざされた。学校では…

隠居の独り言 57

夏が来れば思い出す。其の六。青空に入道雲がハンカチより真っ白に湧いている。あの入道雲を見ていると様々な感傷が頭の中を掠めて行く。八十余年の人生の中で何度、入道雲を見たか数しれないが、昭和20年8月15日の日の入道雲は生涯忘れないだろう。校庭での…

隠居の独り言 56

夏が来れば思い出す。其の五。昭和18年(1943)の秋、日本の敗色がますます濃くなって都会に住む人たちは空襲の危険から逃れるために地方に疎開が始まった。わが家も世相に漏れず父が硫黄を掘る炭鉱の会社に勤めていた関係で福島県白河に家族全員で疎開した。…

隠居の独り言 55

夏が来れば思い出す。其の四。日本軍の緒戦の快進撃も昭和17年半ばころまでで、僅か数ヵ月で終わってしまう。当時アメリカは日本の軍部や政府の交換する機密文書の暗号文を解読した。真珠湾攻撃も既に解読されていたが、アメリカ・ルーズベルト大統領は事前…

隠居の独り言 54

夏が来れば思い出す。其の参。真珠湾攻撃直後の日本軍は実に破竹の快進撃だった。開戦直後2日目の12月10日にマレー沖にいたイギリスが世界に誇る太平洋艦隊の旗艦のプリンス・オブ・ウエールズとレパルスの2艦を日本空軍の爆撃で沈没させイギリスの出鼻をく…

隠居の独り言 53

夏が来れば思い出す。其の貮。1941年12月8日、早朝、「臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍部は8日未明、西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」とのラジオのニュースで起こされた。いわゆる真珠湾攻撃で大戦に突入した。あの奇襲で…

隠居の独り言 52

「虐待を受くれど親に縋るすべなし五歳の許してに泣く」新聞歌壇に載った先日の幼児虐待事件に胸が痛む。熊本の慈恵病院の「赤ちゃんポスト」が出来て今年で10年になるという。自分の産んだ赤子を捨てる親が後を絶たないが、子を育てる気が無いなら、どうし…

隠居の独り言 51  

夏がくれば昭和20年の暑い日々と、戦争の惨めさが蘇る。空襲の恐怖と飢餓状態で日本が負けると子供心にも感じた。ポツダム宣言は、1945年7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名においてに対して発された、日本軍の無条件降伏を求め…