隠居の独り言 69

人はみな敵を持っている。敵は少ないに越したことはないが、生きている限り生存競争で敵に包囲されているようなものだ。でもライバルは自分を成長させてくれるのも事実で、多くの敵と戦ってきた経験と競争が将来の成長を大きく左右する。ボクの次女に5人の孫がいるが、幼い頃、食べ物や玩具の取り合いの喧嘩が絶えなかった。丸いケーキを5等分しても、こちらが大きい、こちらのクリームが少ない、それらが原因でまた言い合いがはじまる。年齢や胃袋の大きさはどうする?きりがない!つまり自分以外兄弟全てが敵になっているが、相手は総領でも末っ子でも関係ない。5人の兄弟達はとくに努力がなくても競争に耐える力が自然に備わっていったが、長女の子は娘一人っ子なので家には敵がなく競争心が無い。敵のいないことが幸せとすれば一人っ子は恵まれている。食物を奪われることもなく、おもちゃやテレビも独占できる。どちらがいいと断定はできないが、世間に出れば甘くない。敵の存在無く育てられた子は大人になって多くの苦労や困難に耐えられない。経験からして兄弟は多い方がいい。一人っ子や兄弟の少ない子供には試練を与える本当の愛情が必要となる。一見平和主義、平穏に捉えられるが本当の幸福は戦って克ち得たものであり逃げてばかりは脆弱なダメな人間になってしまう。それは国家とて同じだ。政治は子育て支援のつもりで、金銭的な援助をするのが少子化対策と錯覚しているが、子供はお金を得るために作るのでなく愛情のためであり決して金銭的なことでない。それは何の得にもならないどころか子供の将来に対して莫大な借金を背負わせるようなもので止めたほうがいい。公園の増設、車の走らない時間、子供優先の事を考える。強い立派な大人に育てようと考えるなら、経験として不幸、不自由、苦労を与えないと耐える意思と努力が育たない。ボクが育った昭和の初めの頃は家々に兄弟が大勢いて田舎も街も学校も子供が溢れていた。遊びもガキ仲間にルールがあり上下関係も仲間の信頼も社会のミニ版で自然発生的に子供から大人への階段を登っていった。「獅子は千尋の谷に子を落す」「可愛い子には旅をさせ」今も昔も変わらない。少子化対策は環境を育てる工夫が必要だが、甘い言葉ばかりの政治家に分かって欲しい。