隠居の独り言 184

待つという我慢は辛いもので、先日の某新聞の「平成川柳」に、「ふみ(文)を待つ「一日千秋」死語となり」現代のようにネットが無かった時代には用を伝えるのは手紙が主な伝達手段だった。ネット社会に生きる今は「待つ」という時の停滞を我慢できない。俳人斎藤茂吉が、若い頃に恋人に宛てたラブレターの返信に「お手紙、頂きました。実に一日千秋の思いですから三日間の忍耐は、三千秋ではありませんか・・(中略)ふさ子さんどうか、お願いだからハガキでもください」ハガキだと短文だから一刻も早く意思の疎通が伝わるだろうと、焦る恋の気持ちは切ないが「待つ」ということは忍耐と想像する心的能力は向上するだろう。現代のようにニュースが瞬時に伝わる時代は短時間で成果が求められ、一日どころか一時間も一分だって待てない社会だ。猫も杓子もスマホの時代になっている。一方では活字離れの時代と言われている。調査によれば高校生一日の読書時間が10分位とか、月に換算しても数時間だろう。メディアの発達でスマホ、テレビ、ゲーム、漫画、刺激的なものまでいっぱいある。本を手に取って、わざわざページを繰るという作業は必要ない。小説もスマホで読める。人間は元々面倒くさいのが嫌いだから、これは仕方ない時代なのだろう。でもメディアでの映像や音声は相手からの一方的に受け取るものであって自分の意思がない。読書はそうでない。読むは能動的に意味を取り出さねばならない。読書は考える力を養うことで、読むのが嫌いな人は考えることも嫌いになってしまう。だから現代人はまたスマホ、テレビに向かう悪循環に陥っている。皮肉に文明の発達のスピードの加速度に人間の脳が追いつかないのが現状だろう。と言っても人間だってバカじゃない。たとえ活字が嫌いでも体験から学んだものも多い。戦時中、我が家には珍しく蓄音機があった。それも英語禁止の戦時中でありながら亡き父が洋楽が好きで手に入れたものだが記憶の音楽は「小さな喫茶店」「青空」「ジェラシー」を聴いた。戦争が終わり蓄音機も電蓄になりSPがLPになり盤も割れない。しかし機械が良くなって反面に音楽が衰退した。美しいメロディや躍動感ある音楽はもう出てこない。スマホに夢中な世代に、むかし、こんな素晴らしい歌があったよと聞かせたい。