隠居の独り言 57

夏が来れば思い出す。其の六。青空に入道雲がハンカチより真っ白に湧いている。あの入道雲を見ていると様々な感傷が頭の中を掠めて行く。八十余年の人生の中で何度、入道雲を見たか数しれないが、昭和20年8月15日の日の入道雲は生涯忘れないだろう。校庭での勤労奉仕をしていたら先生が「今日は何か重大ニュースがあるらしい」生徒等は妙な感じを抱いたが、まさか戦争が終わる「玉音放送」とは知る由もなく先生も生徒も傍にいた人達も聞いてもにわかに信じ難かった。戦争が終わったときの一億日本人全ての悲しみと苦しみの感情を入道雲は知っている。現代のように民主主義になって何でも自由に言える、聞ける、徴兵や弾圧に怯えなくてよい、解放されたと人は言うが、終戦玉音放送を聞いた時間は、みんな茫然として心を失っていた。あの日はとくに暑かった。入道雲の下で焼けるような暑さの記憶だけが今も消えない。昭和19年頃から、小学校も授業より学徒動員で近くの山の開墾で鍬を持って兵隊のように軍歌を連唱しながら行進した。20年には食糧難、日々の空襲、戦争とは何だったのだろう。今でも分からない。生まれた昭和の初期には世界大恐慌で世界全てが独自に自分勝手に振る舞って、日本だけでなく世界中が他国への思いやりを失っていた。狭隘が愛国心でイタリア・ムッソリーニ、ドイツ・ヒトラーソ連スターリン、そして日本の右翼が「自分さえよければいい」のファシズム思想が大戦へと進んだ。そこには文民政府は無く、国民の意思の反映も無く、マスメディアの正論も、あり得なかった。日本は国力もないのに猫一匹が虎の威を借りジャングルを暴れていた格好だった。日本連合艦隊では軍艦を走らせる石油の殆どをアメリカから輸入していたが、その首根っこを押さえられた猫が飼主に噛み付いた笑えぬ悲劇の戦争でそれに罪深いのはマスコミの鳴り物入りで戦争を囃したて、世界観も国力も思想もない日本軍部は幻想で戦争を始め、何も知らされていない国民たちも一緒になって踊ったのも時の流れというべきであり、もう誰も止められなかった。明治の人が命懸けで作った日本という素晴らしい国家を僅か20年で潰してしまった。元の木阿弥になったけれど、しかし日本らしく身の丈に合った国家の時代の方がいい。戦争世代を生きた当時の日本人全てが戦争によって人生を大きく変えさせられた。ある者は戦死、ある者は家を焼かれ、ある者は財産を失い、ある者は食べるもの無く飢えて死んだ。戦争が終わって外地にいた兵隊たちも命からがら戻ってきた。戦争に負けるということの惨めさを日本人は初めて味わった。少年の心の髄まで染みた夏の体験であり、軍国少年として誇りも敗戦によって脆くも散っていった。それが悲しかった。日本人みんなが仲良く暮らせる時代が再来すると信じたい。あれから70年余りが過ぎて今年の夏も青い空に入道雲がハンカチより真っ白に湧いている。