隠居の独り言 54

夏が来れば思い出す。其の参。真珠湾攻撃直後の日本軍は実に破竹の快進撃だった。開戦直後2日目の12月10日にマレー沖にいたイギリスが世界に誇る太平洋艦隊の旗艦のプリンス・オブ・ウエールズとレパルスの2艦を日本空軍の爆撃で沈没させイギリスの出鼻をくじき日本軍はイギリス領マレー半島を2ヶ月半で落とした。司令長官・山下奉文は降伏時にパーシバル長官に「イエスかノーか」と一喝した逸話は当時は喝采されたが、あれは傲慢としか思えない。12/25日クリスマスに香港を占領し、明けて1/2日マニラ、2/14日シンガポール、3/1日ジャカルタ、4/15日ラングーン・日本軍は瞬く間にアジア全体を攻略し、勢力範囲になった。シンガポールは「昭南島」と名付けられ勝利の象徴だった。日本軍の破竹の進撃は、アジアの人たちを勇気づけた。今までヨーロッパの植民地だったアジアの人は大歓迎しイギリス、アメリカ、フランス、オランダの宗主国の軍隊は本国へと逃げていった。東南アジアの人たちの喜ぶのも同じアジアの日本人が白人たちを撃退したことの驚きと大東亜共栄圏の旗印を歓迎して、確信したに違いない。戦前の国連で、日本は「人種差別撤廃法」を提案したが、採決で賛成11反対5の結果だったが議長国アメリカの反対で「採決無し」でほぼ強制的に反故されてしまった。戦争は白人による植民地解放のきっかけになったのは間違いなく、その点は、日本は堂々と誇っていいと思う。戦後のアジアは長年に亘る植民地からは解放されたが、アジアの人たちはどんなに嬉しかったか想像に難くない。一方の白人諸国からすれば日本は不倶戴天の敵であり、植民地からの搾取が出来なくなったのは日本のせいで戦後の日本に対する報復的政策の要因になっている。戦争は喧嘩両成敗であり、どちらの良し悪しはあり得ない。戦後の国連も未だ戦勝国クラブであり戦争が終わってないし敵国条項も、アメリカとどんなに仲良くても削除しようとしない。つまり世界の国々は狡い。