隠居の独り言 53

夏が来れば思い出す。其の貮。1941年12月8日、早朝、「臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍部は8日未明、西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」とのラジオのニュースで起こされた。いわゆる真珠湾攻撃で大戦に突入した。あの奇襲で戦争が始まった事は米国民に騙し討ちの汚名を着せられ戦争末期における硫黄島、沖縄、原爆などの口実にされた。開戦時の総理大臣は東条英機で頭のてっぺんから足の爪先まで軍国に染まった純な少年は東条を神さまのように崇め、東条のロイド眼鏡も、チョビ髭も、軍服姿も全て信仰の対象だった。軍国少年の将来の夢は陸軍の将校になって東条閣下のように格好よくなりたい。単純な軍国少年の夢だった。戦後に負けようやく夢が覚め、東条英機という人物を冷静に紐解くと何故か虚脱感が伴う。東条という人物は官僚の順番で首相机に座っただけだった。ヒトラースターリンのようなカリスマ性なくその程度の人が対米戦争を布告し、遂に日本を滅ぼしたことは周知の通りで軍部の時代的気分の統帥権という法で明治憲法を悪用した。東条が首相に任命されたとき、中国大陸では支那事変という訳のわからない戦争をしていた。戦略というのは本来、国の損得勘定を計算上に立つべきものだが、中国と戦争をして何の利益を引き出すつもりだったのか。国家予算の大半を使って支那事変を続ける目的と意味がどこにあったのか。そんな阿呆をしながら滿蒙国境でソ連ノモンハン事変で木っ端微塵に日本が負けたが、その敗因のソ連の兵器や物量の圧倒的な違いを、きちんと正確に検証していれば当時の日本の国力を判断できたはずなのにとても残念だ。ソ連と比べて遥か大きい優秀な兵器と豊富な物量を誇るアメリカと戦争をするなんて普通の常識で考えられない。アメリカもまさか戦争になるとは思いもよらなかったろう。政治というもの、いつも正気でいなければならないという平凡なことをすっかり忘れてしまった無謀な戦略の末は奈落の底まで堕ちて、やっと気が付いた日本人であった。戦後の極東軍事裁判で、東条は絞首刑に処せられたが、憎しみより哀れさが付きまとう。日本総白痴時代いえる。歴史の中で日本史は世界に誇れる素晴らしいものだが、できれば昭和初期の部分を削除したい。