隠居の独り言 67

暑い夏は寒いシベリアの痛恨を想起させる時でもある。江戸時代の後期に幕府の下役人で千島のエトロフ島に赴任していた間宮林蔵が、地理や算術の才能を持って同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び、幕府から享和3年(1803年)西蝦夷地を測量することを命じられ樺太が大陸と離れた島であるのを発見して国際的にも間宮海峡と名づけられた。当時の樺太に住む人たちはアイヌ人と日本人の雑居地で幕府が日本の領土として監理していた島だった。ロシア人が樺太に入ったのは間宮林蔵が海峡を発見してから50年後の1853年で、当時の日本の幕末のどさくさに紛れてロシアは囚人や開拓民を入植させ、その僅か20年後に日本に対して樺太の帰属権をめぐる論争を強引に繰り広げてきた。ロシアはあくまで狡賢く日本はあくまで拙く(今もそう)長い鎖国の安閑の時代を体験した日本人にとっては近代史的な領土意識が、まるで希薄だったといえる。その隙にロシアは兵士を送り込み、既成事実を積み領土交渉がますます不利になり300年以上に亘って日本の土地だった樺太をたった20年前に入ってきたロシアに強引に「樺太・千島交換条約」を結ばされて樺太を盗られてしまう。明治3年(1869)のことだった。何と無原則な譲歩をした日本の外交の拙劣さよ!明治36-7年の日露戦争で多くの日本人の血と、莫大な戦費を掛けて樺太の南半分を取り返したが、固有の領土、千島列島、とりわけ北方領土4島はそれまで日本以外の国が管理した事は一切無いが、最近のロシアの言い分は戦争の結果の権利という。話にならない強硬さが続く・小中学校の歴史教育も、こういった日露間の近代史をきちんと教えてほしい。最近安倍首相はプーチン大統領と日露間の交渉をしているけれど領土問題は一向に進まず、ロシアも帰す気持ちが見えないので一旦止めにしてはどうか。領土を不法に奪ったロシアとは政治的な距離は大きく経済協力も密になりえず日本から投資や技術移転も進展させることが出来ないと、はっきりと言うべきだ。強権国家ロシアに譲歩を続ける日本の弱腰外交に明日の展望は無い。