隠居の独り言 65

ここのところ田中角栄元総理を回顧する雑誌の記事が多い。戦後最大の疑惑事件だったロッキード事件が起きて今月で半世紀近くが経つ。事件の詳細には今更の感がするけれど田中角栄は雪深い新潟に生まれ極貧の少年時代を経験し、小学卒業後は現地の木材店に勤め戦後に会社を立ち上げ政治家の道を進んでいく。立身出世の見本みたいな角栄だ。初めて代議士に当選した時の演説のセリフは「みなさーん、この新潟県群馬県の境にある三国峠を切り崩してしまう。そうすれば日本海季節風は太平洋側に抜けて越後には雪が降らなくなり、大雪に苦しむことはなくなるのであります。切り崩した土は日本海へ持っていき佐渡を陸続きにすればいいのであります」若き血の叫びだった。演説は荒唐無稽な大風呂敷と聴衆に笑われたが、東大法学部出身の官僚は思いもよらぬ卓抜なアイディアに驚き「日本列島改造論」へ進んでいく。日本全体を機能的、合理的に高速道路や空港、果ては新幹線まで走らせて、日本国全体を便利にしたのは基はと言えば角栄の「改造論」に突き当たる。金権政治が悪いというけれど、自民党の総裁選挙の過去を調べても全て金銭で動いている。なにも角栄だけのせいではない。戦後の歴代総理を見ても角栄に勝る人物は見当たらない。角栄は戦後の日本を立て直した勲一等に値する人と思う。考えてみれば角栄は毀誉褒貶の人だが、光の当て方で善の部分も悪の部分も見えてくる。立志伝中の努力家で稀有な人物だった。ロッキード事件という未解決な案件に足を掬われたのは日本にとって大きな損失だったといえる。事件が無く田中政治が続いていたなら現在の日中関係も日露関係も、北方領土も違った展開であったに違いない。「木を見て森を見ず」正義ぶるマスコミも国民も小さな事に拘って大きなものを失った。改めて角栄に合掌。