小僧日誌 その十三

帽子職人の仕事は主にミシン掛けだが、大抵の職人はラジオを聴きながら仕事をしている。当時のラジオは家の中では一番の近代設備で天井に近い棚の上に置かれ隣は神棚だった。ラジオのある家では終戦玉音放送もその場所から聞こえて、まさに天上からの声だった。でも当時のラジオは性能が悪く雑音が酷かったが、それでも職人は聞きながら仕事をした。記憶では当時のラジオ放送の人気番組は「君の名は」「二十の扉」「話の泉」「とんち教室」など・・後年にテレビが出てラジオの興味は薄れてしまうが、音はむしろ映像よりもリアリティに富んでいた。それは人間の想像力を膨らませるからで、その点で映像の何倍もの力を持っていた。PCもテレビも無かった時代・・今より創造力や知的レベルが高かった気がしてならない。ラジオを聞きながら仕事したが森繁久彌徳川夢声永六輔小沢昭一など面白かったなぁ・・そして昭和20年代後半になってテレビが出始まった。一般家庭に普及するのは時間がかかったが、その前に駅近辺には街頭テレビがあって会社帰りのサラリーマンが群がって見入っていた。特に昭和28年、ボクシングの白井義男対ダドマリノの世界フライ級タイトルマッチが凄かった。初のテレビ中継で、街頭テレビに人々が殺到し都電やバスがストップするというオマケもついたが、白井の日本人初の世界チャンピオンに全国が沸いた。テレビを最初に置いたのは蕎麦屋、寿司屋といった食堂で、力道山のプロレスや白井のボクシングの日は特別料金の定番食で、店は搔き入れどきだったに違いない。小僧はとても観戦仲間に入れる身分でなく、次の日の新聞で想像を掻き立てるのが精いっぱいだった。時が経過しても会社にはテレビは不必要で、小僧時代を通じてはテレビを楽しむことはなかったし、今でもテレビにあまり関心が無いのは当時の名残かも知れない。