小僧日誌 その十八

竹が生長する過程で“節”を付けていくように人の一生も“節”を付けながら人生が過ぎていく。そのときは気付かなくても、あとで振り返って“節”だったと思い起こすことは誰もが経験する。14歳で上京して13年が過ぎ、20代後半ともなれば今後の人生設計を決めなくてはならない。入院中に読んだ山上憶良の「士(おのこ)やも空しかるべき万代(よろずよ)に語り継ぐべき名は立てずして」男子たるもの、生涯を空しく終わってよいものか、その名が残るまでと詠った!病院から会社に戻っても自分の居場所は既になく、自分の置かれた立場や、今までにさんざん迷惑を掛けた会社に対して、これ以上の長居も無用と、社長に退院の報告と、長くお世話になったお礼を述べ退社の許可を願い出た。社長はボクの独立の意向を心よく応じて下さり、その上、業者に「円満退社」の通知を出していただいた。昔のように暖簾分けというものではないけれど「円満退社」は信用状のようなものだったから、社長からの得意先、仕入れ先への通知の手紙は有難かった。そして心機一転、得意先、仕入先、職人さんに独立の挨拶をして廻った。けれど資金不足のため仕入れ先に訳を話したら、こちらの支払い条件を快く受けてくださった恩は生涯忘れない。皆さまの人情に縋った独り立ちで希望と責任感と不安が交差した。誰の言葉か忘れたが「望みは何と訊かれたら幸せ、と答えはするが、望み叶って幸せになったら、すぐに過ぎた昔が恋しくなるだろう。あんなに素晴らしく不幸だった昔が・・」 昭和20-30年代の戦後の混乱期から高度成長期までの、古い慣習の時代から新しい環境のはざまで、丁稚小僧を経験した自分にとって苦労も多々あったが、言い尽くせない感動も、出会いも沢山頂いた。喜びも悲しみも過ぎれば夢幻のよう・・人生の内で最も中身の濃い年月であったと回顧する。小僧時代に会った全ての人に感謝の言葉を述べたい。失敗もあったが、過ぎたことは考えない。独立は男の本懐だ! 預金、退職金、合わせて10万円余り、台東区鳥越の裏長屋の倉庫の一室を借り、小僧が長く使っていたミシンその他諸々器具を会社から頂戴し中古のオートバイを買ってスタートし、ここで小僧を卒業した。
昭和35年11月15日、27才の巣立ちだった。

ps小僧日誌はこれで終わらせていただきます。今は死語となった丁稚小僧ですが、ボクには貴重な体験でした。いつかまた書けなかったことや其の後のことも機会あれば綴りたいと思います。拙文を読んでいただきありがとうございました。