小僧日誌 その八

上京して4年目の春、18才の小僧に生涯忘れられない事件が起きた。当時、学帽を作っていた帽子屋は、大学の合格発表の日に合わせ、各大学の校門近くで、露店を出して売るのが慣例で、待ちに待った儲けどき・・合格した生徒たちは、そこで学生服や帽子を買い揃えていた。売る側にとっては一年一度の出番の日で、店員、小僧たちは手分けして各大学へ学生帽を売りに行った。小僧が担当したのは東大の赤門前で、東大合格生に学帽を販売していたが、その最中に、何とそこで会ったのは故郷の同級生・・彼は子供の頃から一目置かれていた秀才だったが、姫路西高から東大理一に合格したという。「おめでとう」と言うと「なんやお前は帽子屋か・」 彼から軽蔑のまなざしを向けられ、互いに旧友とか、懐かしさの感情が消え、小僧はうつむいた。当時は帽子を買うと、その場で靴墨を塗り、テカテカに光らすのが流行って、殆んどの学生が買うと、すぐそれをやっていた。その同級生も帽子を買うやいなや、いきなり丁寧に包んだ帽子を紙袋から出し靴墨を塗るために、汚い靴で足蹴に地べたに擦りつけて、何度も何度も繰り返したから、小僧は頭に血がのぼった。精魂込めて苦労して作った製品を、いくらお金を出したからって、そんな行為は許せない「オレも18、オマエも18」 同じこの世に生まれて何故、こうも環境が違うのか。この世の不公平感と、普段の学歴コンプレックスが一挙に行動に出た。小僧の頭脳は後先のことも、理性も一瞬にして炸裂した。「何をするんだ、この野郎!」ウムを言わせず鉄拳を一発かませ、殴り合いになった。しかしアッと云う間に人だかりがして、彼には仲間が加わり、多勢に無勢・一方的に滅多打ちされ・後のことは覚えていない。気が付いたときは三四郎池の傍で寝かされていた。痛む体で露店に戻ると、棚も商品もめちゃくちゃ、売り上げ銭も無くなって、惨めで情けなくて、涙が止まらなかった。店に戻るに戻れず、一夜を遅くまで過ごし、店に電話を入れ、昨年辞めた先輩を頼って彼の家に辿り着いた。当然、会社から解雇を宣告された。