小僧日誌 その四

話は落ちるが付き合って頂きたい。小僧になりたての頃、恥ずかしかったのは銭湯で裸になること、そしてトイレ。会社は未だ昔ながらの汲み取り式のトイレだった(半年後に水洗になったが)当然ながら和式で、田舎のような外の開放感も無く、当然ながら臭いし汚いし、特に「大」の方に行くのは物凄く恥ずかしかった。それは女の方に行くことを意味するからで男としての変な美学であり、変な哲学空間であり、世の中はキレイゴトばかりじゃないと無言のうちに教えられた。そのトイレの掃除は小僧の役目であり、特に朝は皆が起床する前に済まさなければならず、ついでに小僧も用を足すのが習慣のひとつだった。一日の仕事を終えて床に入ると、夜はノミ、シラミ、南京虫に悩まされ、眠れない夜もあり、朝になると赤く腫れた皮膚が夕べの奮戦を物語っていた。昨今は生地が良くなったのでこれらの害虫は絶滅したけれど、ウン十年前までは害虫に悩まされた小僧がいたことを知ってほしい。といって苦労ばかりでなく、月一の職人の勘定日には30人程の職人が集まって、近所の食堂の二階を借り切り、酒、博打(花札・麻雀)を楽しみ、中には帰りに遊郭に寄るのもいて色々な悪い遊びも知った小僧だった。タバコを覚えたのも職人からだった。買うお金は無くても職人は半分吸って残りの吸い殻を呉れた。小僧は大人だなぁと思った。大人の男のカッコよさはタバコを指でつまんでピーンとはじき飛ばす。今ならヒンシュク買うこと100%だが、タバコは大人の象徴と思うのに時間は掛からなかった。良いことも悪いことも覚えた小僧だったが、今に思えば小僧の経験が、今の自分に生きている。善悪のわきまえ、礼儀作法、生活習慣に至るまで、歳を重ねた今も変わらないし、何より健康法もそのままで、お蔭で今も元気で暮らしている。