小僧日誌 その六

話は前後するが、小僧の日々の生活の基本は、朝は起床午前5時、就寝は午後10時で、就業時間はAM8→PM9時まで・・食事時間を除いて仕事に明け暮れた。就寝前に洗濯や服や靴下の糸繕い(当時は生地がスフで年中破れた)は欠かせない。朝食時間7時までに掃除、火起こし、飯支度など手分けして間に合わせた。食事は一日三食が決まりで、間食夜食はなく、酒も仕事に影響するので禁酒、丼一杯の白い飯と一汁一菜で、食べ盛りの小僧にはいつもお腹が鳴っていた。土曜日の夕飯には一週間唯一の御馳走の焼き魚が付いて美味しかったこと、たまに女工さんが焼き芋を差し入りしてくれた嬉しさは忘れない。でも小食が慣れてしまうと胃も小さくなって、今でもオヤツはしないし、食事の量を多くしないのは体に良いと思う。最初の頃は慣れぬことばかりで辛かったけれど、時間と共に日常になっていく。小僧の生活も辛いことばかりじゃない。生活そのものが勉強であり、発見であり、幸不幸も「禍福はあざなえる縄のごとし」と思う。一日一度は自宅で縫製する職人宅へ裁断物を持って、完成品を運ぶ自転車運搬、そして製品を得意先に納品するリヤカー運搬もしていたので、思えばいい運動だった。服装は全て支給されたが年に一度、夏と冬一回で、当時はスフ織物が殆どで、いつも継ぎはぎをして着ていた。今よりもっと寒い冬だったはずなのに暖房施設もエアコンもなく、昔の人の耐えることの凄さを今に思う。小僧は14歳からだったから、今の中学2年生になる。逆説めくが家が貧乏だったから出来たことで、裕福な家に生まれていたら出来なかっただろう。貧乏は嫌だけれど、引っ込み思案の弱虫の少年でも、土壇場になれば火事場の馬鹿力じゃないけれど、やればできると妙に自分を悟った。何年かして、旦那さんに気に入っていただき、お得意先への新年や盆暮れのご挨拶に同行し、商人としての言葉、仕草、商法など教えて頂いたのも大きな財産で、叔母にも生きる礼儀作法を細かく教えられたことも、小僧の厳しさの中にも大人への成長の足掛かりとして感謝を忘れない。