小僧⑰

小僧もハタチになりました。当時は成人式の式典とて無く(あったかも知れない)
区役所から区長さんの印刷されたお祝いのメッセージと万年筆が届けられました。
特別の感慨は無かったけれど母からの手紙に「お前も大人になったね」と短い文章で
書かれてあった言葉に熱くなるのを覚えたことは今もときどきに思い出します。
といって仕事だって私事だって変わるわけじゃなし、なんとなく通過していったハタチ。
今、私の好きなシャルル・アズナブールの「イザベル」を聞くと涙が出ます。
「人がその手に二十歳という年や、約束された未来という富を持つとき、
 恋が我々の上に身を傾けているとき、そして、その白夜を与えてくれるとき・・」
彼の歌は人生そのものですが青春ってこんなにいいものだから思いっきりのめり込まねばと、
彼自身も歌いながら過ぎ去った時代を掴み取ろうとする感情に共感を覚えるのでしょうか。
取り返しの出来ない悔恨が青春なのでしょうか。過ぎて思うのが青春なのでしょうか。
全てが無為とは言わないけれど、生きるために仕事に明け暮れしていた時間であったが
それが青春であったのかも知れません。今は学校を出ても仕事に就かない「ニート」や
「フリーター」呼ばれる人が70-80万人とも言われ、やがて100万人にもなる世相の若者の
生き方が私たちの思う青春像を歪めているのは哀しいことです。生きるために働くのは
思うほどキレイゴトではありません。一生を通じての天職の成功は継続が大切なのです。
職人として同じ作業を何時間も何日も繰り返した事、商品を売るためには試行錯誤して
失敗を繰り返したりしながら、ハタチの日々は貧しさと苦労の中で過ぎていきました。
青春とは仕事や勉強や恋など若い特権を充分に使う事が、今になって思ったり気が付くのは、
ともすれば青春という言葉に、あこがれの情感と悔恨がつきまとうからだと思う。