小僧⑬

今年は台風の多い年だったが戦後の一時期も多数の台風が日本列島を襲った。
占領軍はなかなか洒落たことをして台風には女性の名が付けられ恐ろしさを
少しでも和らぐ配慮だったのかも知れない。アイオン、スター、カスリーン、
ジェーン、キティー等々、しかし今のような治水設備が少なく、特に下町などは
大雨の降るごとに道は川となり床下浸水など被害は大きかった。総武線などの
一部のガード下は何日も冠水で通行止めだったし、キティー台風の時などは中川が
氾濫し職人さんたちの多く住む、足立、葛飾、江戸川の殆んどが水没しミシン等の
道具や商品などの被害が甚大だったことや、後片付けに行った事など今も目に浮かぶ。
京葉道路水戸街道などの幹線道路でさえ川に架けられたのは木の橋だったし、其の後
鉄橋に架け替えられ、中川放水路などが完成されて下町の治水が良くなっていった。
当時は蔵前橋通りはまだ無く亀戸や平井あたりには空き地が多く草野球などで遊んだり、
子供たちはチャンバラごっこなどで駈けずり、道路わきには紙芝居が小児を集めていた。
荒川沿いには釣り人多く釣宿などあってハゼの餌のゴカイや竿、ウキなど売っていた。
休日など、このあたりは気持ちものんびり出来たし葦のざわめきなど今も聞える気がする。
仕事のほうも、ますます忙しく朝鮮戦争特需や警察予備隊などの受注で官庁関係を歩き
問屋さんも反物単位で注文し、縫製、仕上げや配達で昼夜追われた日々が続いていた。
思えば、このあたりの年代が戦後の帽子業界の最盛期であったかも知れない。