小僧⑱

戦後の混乱期も徐々に薄れてきて掘立て小屋も無くなり建設ラッシュで道も舗装されて
都会らしい雰囲気が生まれてきたような気がする。TVが出始めて白井義男のBOXINGや
力道山のプロレスなどは街頭TVに人は殺到した。ゴジラローマの休日七人の侍などの
映画も当時だったし、美空ひばり、江利ちえみ、三橋美智也、春日八郎等々が歌っていた。
マリリン・モンローディマジオと来日し、J・ディーンが事故で亡くなったのもあの頃だった。
小僧の仕事の一つに朝の奥様とお嬢様の学校の送りがあった。学校は白百合学園飯田橋)で
英国製のオースチンを運転して送り届けたが、お嬢様学校なので方々から高級車が集まり、
車好きだった私にはチョッとしたゴールデンタイムだった。送りに来ていた運転手さんたちと
いろいろ会話もあったし上流社会の一端を知ることも勉強だった。今でこそ子供の誕生会は
普通だが某財界の子息のバースデイなど庭に茶席など設けてバンドも入って祝っていた。
招待された人たちはそれぞれの界の一流人だろうが運転手とてネクタイ着用は義務だった。
小僧の旦那はなかなか山っ気のある人で、某製菓会社と提携して粉末ジュースを造る会社を
興したり、くず鉄不足に目をつけて日本近海に沈む軍艦や貨物船のサルベージ会社を作ったり
諸々のことをやってはみたが、ほとんどが失敗で借財で本体の帽子の会社がおかしくなって、
立て直すのに大変な苦労があった。しかし旦那はなにかにつけ私を重宝してくれて経験を共に
味わったことに今も感謝している。この夏、旦那さんの七回忌に墓参りをしてきた。