隠居の独り言 81

またニュース報道の「幼児虐待事件」は聞くのも嫌になる。「お使いに出した子供をそっとつけ」江戸古川柳にあるが、初めてのお使いに行った子供を心配して尾行する親心は期待・心配半分の心境なのだろうか。なんとも微笑ましい。以前は孫のお使いに我が家の尾行役は爺になっていた。全国の児童相談所が昨年に受け付けた児童虐待相談は過去最多の12万件以上になるという。相談にも入らない虐待の実際はその数倍だと云うから戦慄を覚えてしまう。一番信頼している親から理不尽な仕打ちを受けた児童の何と哀れで痛ましいものか、想像を絶して身につまされる。子は親を選べない!子は親に育てられ、生きるすべしか知らないのに、それを虐待で応えるとは生物の本能として人間として、人情味として考えられないところまできている。一方で自殺する人の中で妊婦が最も多いと聞くのも切ない。育児能力の欠如、ストレスが募った、望まない妊娠、貧困・様々だが言い訳は許せない!赤子に頬ずりする愛しさや嬉しさは当たり前のはずの親としての根本が喪失している。人情の根幹は異性を愛し結晶の子を儲けて育てることだが生きとし生ける動植物は命の循環を延々と繰り返してきた。種の保存のため、後世に伝えるため、子への愛だけでなく自らの命を賭し、子育てに没頭するは母性本能でしかない。子育ての放棄は人間だけなのか。万葉集にも奈良時代を代表する歌人山上憶良の「子は宝」と詠んだ詩文がある。「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も、何せむに、まされる宝、子にしかめやも」カバキコマチグモは秋に巣の中で産卵し孵化すると群がる子蜘蛛は母蜘蛛の身を食べて春を待つ。母蜘蛛は反撃することなく、文字通り子蜘蛛に献身をする。蜘蛛にも劣る親たち!怒り心頭だが、政治も対応が遅い!夏の江戸川柳をもう一句 「寝て居ても団扇の動く親心」