全国高校弓道大会

harimaya2016-12-26

孫娘の全国高校弓道選抜大会出場の応援で
会場の名古屋・日本ガイシホールへ出かけた。
47都道府県から各1校選ばれた精鋭たちの
全国大会は張りつめた雰囲気で心引き締まる。
残念ながら上位賞までは叶わなかったけれど
孫は大会に出場できただけでも大満足だろう。
弓道は矢を的に射るだけでなく姿、所作、礼に
至るまで作法が大切で清々しい雰囲気だった。
いいものを見た後は、爺婆は下の孫2人を連れ、名古屋見物の2泊3日の旅を楽しんだ。

隠居の独り言(1560)

歳のせいかも知れないが年末になると子供の頃が思い出される。2016年も後一週間。
今は子供が少ないせいか、冬休みなのに町の路地から子供の歓声は聞こえてこない。
昔の路地は普段の午後や休日は子供の天国で、冬の日でも子供らは汗をかくほどに
動き回って寒さなんか吹き飛ばしていたものだった。ホッペはヒビでガサガサになり、
手足はシモヤケで、鼻の頭を真っ赤にしながら日が暮れるまで走り回って遊んでいた。
いつの間にか子供天国は消えた。少子高齢化のせいか一人っ子も増え子供同士の
遊びも変わってしまった。昔の子供の世界があり、ガキ大将がルールを仕切っていた。
ルールは大人のミニ版だが、目上を尊び目下の面倒を見る社会の一歩作りであった。
元旦はどの家も日の丸を飾り、学校で式典があった。一応はきちんとした洋服を着て、
「年のはじめ」を歌い付属する「君が代」を斉唱した。校長先生が黒い漆塗りの箱から
教育勅語」を恭しく取り出し、読む間は生徒が黙礼した。帰りに紅白の饅頭を頂いた。
しかし四方拝の式の存在そのものは一年のけじめとしての行事で良いものと今も思う。
戦後になって学校の元旦の式典も無くなり、年が変わるという新鮮味も曖昧になった。
そもそも新年といのは先に何があるか分からない未知の始まりであり、年の初めとは
「白紙の手帖」なのに誰も気付かないうちに通り過ぎてしまう。学校も勉強だけでなく
せめて元旦の式をして、心のけじめの教育も取り入れるべきと新年を迎えるに感じる。
昔の年末は正月の準備で特に女性は忙しかったが、今では普段と変わらない年末だ。
いつもと違うのは、元旦に初詣に行き、集まった孫たちにお年玉をあげ年賀状を見る。
ただそれだけ・・本来なら年の初めを厳かにしたいけれど、その気持ちも薄らいでいく。
でもそれも歳のせいだろう。何もかも億劫になる。