伊勢屋、稲荷に犬の糞

五代将軍徳川綱吉のころ「生類憐れみの令」という犬の保護政策があって
最盛期には中野の御犬小屋には約11万頭が保護されていたそうな。当時で
あれば子供たちは遠島の刑あたりに罰せられたに違いない。しかし綱吉死後
は野犬が江戸市中にあふれ大迷惑となる。そんなことから「い」を頭韻に当時
江戸に多いものを並べてこんな言葉が生まれたらしい。幕末のころに来日した
イギリス人(名忘却)が日本人の犬の躾けはなってない、と語ったとか。
彼我の動物に対しての文化の差なのだろうか。