安田善次郎(1838-1921)

富山の出身で幕末明治の岩崎弥太郎渋沢栄一などともに
立志伝中の人である。20才の時に上京し両替商から身を興し
安田銀行(後の富士銀行→みずほ銀行)や損保会社や生保
明治生命)など金融財閥としての基礎を築き財を成した。
成功後も質素倹約の精神を貫き権力にも媚びず反骨のためか
政界の人々からの評価もよくなかったが日露戦争の当時に
起きた金融恐慌の危機を救ったのも彼であったし精錬潔癖が
逆に守銭奴としてマスコミからは悪評で最後に彼が暗殺された
ときに「大ばか者が殺された」との風評を流され、一ヵ月後の
平民宰相の原敬暗殺に繋がり日本は暗黒政治の国家主義へと
入っていく。40年後に彼が寄付した東大安田講堂で安保騒動が
起き、同じく寄付した日比谷公会堂浅沼稲次郎が暗殺される。


因縁をよそに庭園では今日も鯉が静かに泳いでいる。