小僧③

戦後間もなくのころはラジオはまだ高価で貴重品でどの家にもあまりなく
時間も朝昼夜の限られた時間帯しか放送されませんでした。7時まで働く
通いの女工さんたちは夜の人気番組(君の名は、S盤アワー、アチャコの番組等)
を聞くために残業し私たちの夕飯(7時)を少し廻して一緒に楽しんだものでした。
街では君の名はのマチコ巻きが流行り女工さんたちは手編みで作っていたが毛糸が
高価で多くはスフの糸だった。S盤アワーからはクロスビーやキングコールが流れ
交差点では進駐軍が交通整理し物心両面でアメリカナイズされていく世相があった。
食事が終わればすぐに食器と箸を洗い所定の場所に置いて仕事をしないと決められた
工程が流れないため食後の休憩なんて考えられなかった。仕事の内容は帽子製造だが
裁断、縫製、仕上げ等、小僧は空いている作業に先輩の指示に従うのが慣わしだった。
それでも配達の時は良かった。自転車の後ろにリヤカーを付けて商品を積み込み問屋に
納品するわけだが一部の風変わりな方を除き、みな商売以外の話しに弾み楽しかった。
問屋の小僧さんも地方出身者ばかりで郷土意識の連帯感のような親しみがあったと思う。