小僧一人旅(10)

来てくれた裁断士はとても気さくな人で太平洋戦争を戦った引揚者の一人で支那(中国)
からマレー半島ビルマミャンマー)まで戦地を歩いたらしいが、小僧もその話を
聞くのが楽しみだった。昼休みとか、三時休みにはお茶を飲みながらの裁断士の話は
居ながらにして世界を覗くようで興味深いものが多く“地理歴史”好きの小僧には
つい聞き入ってしまう。戦争体験など今はしようにも出来ない話しだが、裁断士は
ビルマ行軍のときに腹痛に悩み盲腸炎と分かったが、そのときの手術の話は衝撃的だった。
医者もいないし放っておけば死ぬだけだから同僚の衛生兵が短剣と安全剃刀だけで
麻酔も消毒液も無く、両手両足を縛られ同僚たちに抑えられながら、何とか手術を
したらしいが、極度の痛さと絶望感に気を失ったという。術後は小川の水で洗浄し、
敵中の転戦のこととて担架で運ばれながら苦しみのなかで回復を待ったという。
生存確率は五人に一人というから凄い。戦争は弾に当る戦死より病死や事故のほうが
はるかに多いらしく「戦争は所詮“運”だよ」彼の言葉に真実味があって頭から離れなかった。
小僧も小学6年生の春ごろ母と福島から宮城の親戚へ買出しを兼ねた訪問の帰りに
乗っていた汽車に突然に敵の戦闘機が襲い、機銃掃射を掛けられた恐ろしい空襲の
経験があるが、当時の労働者のほとんどは多かれ少なかれ戦争体験者で、苦労の時代に
生きた世代はそれなりに芯の強さや逞しさも備わって厳しい仕事や残業も苦にせず
当たり前のように毎日を過ごしていた。