小僧一人旅(16)

当時の世相は60年安保闘争のあとの左翼思想の影響が色濃く残って、ストライキ
メーデーなど労使交渉は年中行事だった。ある日かつて聖歌隊で知った友人が訪れてきて、
今は某旅行会社に勤めているが、旅行の時はぜひ使ってくれ、との話しから、彼の会社の
得意先に電気労連があるとのことで、小僧は労連の幹部をぜひ紹介していただけないかと
頼んでみた。彼はこころよく品川にあった電気労連本部に連れて行ってくれて幹部のW氏に
会わせてくれた。メーデーのときに大勢の人たちが被っている帽子の注文を取れないかと
考えたからであったがW氏も気持ちよく応じて下さって、小僧や職人さんたちが社会党員に
なる条件で、松下、東芝、日立などの工場の組合に紹介状を書いてもらい、小僧はそれから
東奔西走、北は仙台から西は広島まで20数社の組合を回り、約二万個の注文を貰ったが、
過ぎたるは及ばざるで、小僧一軒ではとても捌ききれず、仲間のメーカーにお願いして、
どうやら乗り切れたが、冷や汗ものの綱渡りの商売だった。其の後毎年、時期になると注文が
あったが、其の後、田中内閣の列島改造計画の影響などで、都市部から地方への工場移転や
メーデー参加の人数も減り年毎に受注数も減少していった。商いは社会情勢の変化に対応して
生きるわけだが、自らの思想を騙ってまでの商い優先だった。