韓国の方々へ(1)

最近「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」を出版した韓国の人気タレント兼歌手の
趙英男(チョー・ヨンナム)さんが世論の激しい非難を受けてTV出演や公演を中止したという。
そこで私は、いつまでも遠い過去の亡霊のようなものにこだわり、日本との未来志向の
お気持ちになれない韓国の方々へ歴史を振り返りながら、お話しをしたいと思います。


世界遺産に指定されている仏教文化の金字塔の仏国寺は韓国の慶尚北道の慶州にあって
4世紀から10世紀に栄えた新羅の都ですが、そのころの朝鮮半島は輝いていました。
私は貴国の歴史教科書を見たことはありませんが、19世紀ごろ李朝鮮時代の清国との
宗属関係をどのように教えられているのでしょうか。千年以上にもわたる中国歴代王朝の
属国の地位に甘んじていて、日本が明治維新で開国して貴国に清国からの独立を果たし
強力な国家として発展すべく進言しましたが、清国は朝鮮との宗属関係をますます強化し
この目論みは失敗に終わってしまいました。当時「征韓論」なども出て日本の世論も沸騰
しましたが、あくまでロシア、清国の圧迫に恐怖感を抱いた日本が朝鮮半島に毅然とした
独立国があったらとの願いからで、植民地にするとか(当時の日本は国力も無かった)従属
させるとか、気持ちもありませんでした。当時の朝鮮にも、開化派などあって自主独立の
運動もありましたが潰されてしまいました。詳細は省きますが、このあと日清戦争があり
清国から解放されて、あのとき日本と一緒に千載一遇のチャンスを生かしていたら、立派な
国家も生まれただろうし、其の後の日露戦争も無かったかも知れません。そして日露戦争
あとの三国交渉をみて朝鮮は日本を見くびり、ロシアに保護を求め国王高宗がロシア大使館
に逃げ込んで朝鮮は亡国のようになっていったのです。決して日本のせいではありません。
無政府状態になった朝鮮半島はこのままだとロシアの植民地になっていたかも知れません。
その時だって独立宣言の機会があったのに、誰かに頼る貴国の気持ちが、もどかしいです。
日本では江戸時代から韓国の人々を尊敬していた何よりの証拠の出来事に、徳川の将軍が
代わるごとに朝鮮通信使一行が祝賀儀礼として訪れますが、その時の日本人の韓国人への
格別な歓待ぶりは、絵巻物や書物などにも書かれて、大いにもてはやされた国賓でした。
日本人も韓国人もその辺の、併合に至る経緯を正しく知る事がお互いの誤解を解く要素です。
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