靖国

この問題を取り上げるのは、あまり好きじゃないけど、いつまでも中韓がしつこいので
私見を述べさせていただく。「サイタ サイタ サクラガサイタ」私が小学校へ入った
最初の国語の本の見出しだが、背景は桜と靖国神社が描かれていた。日本人にとって
こころの拠りどころは武士道から伝わる、散る潔さの美学だが、中韓の人たちに何度
説明しても分かるはずがなく、民族の持つ古来の伝統的な心情は我々特有のものだ。
それをとやかく言うのは、内政干渉以前の日本人への侮辱以外のなにものでもない。
日本の宗教関係者も異論を唱える人がいるが、これはそれ以前の心の問題で父や先祖の
純粋に国のために命を捧げた無念を思い、手を合わせる心情に宗教の入る余地は無い。
神社参拝は皇室も総理も堂々と行うべきだし、戦争で散った英霊への供養は当然だ。
けれど私に一つの疑問がある。神社の祀られる方々は戦場で戦死か戦病死された霊を
慰められるのが本来の目的なら、昭和20年8月15日以降の戦後に亡くなった人まで
祀られるのはいかがなものか。まして戦犯(これについては後述する)として刑死した
のは、戦死や戦病死とは区別するべきだし、靖国の趣旨との違和感の気がしてならない。
あの日露戦争の功労者の東郷元帥も乃木大将も靖国に祀られていないのは、東郷さんは
病死で亡くなられ、乃木さんは明治天皇崩御のときに自決なさったからで戦死ではない。
政府も神社もそのあたりをハッキリとしないから近隣から付け込まれる隙を与えるので
直すものは直し、近隣からのいわれも無いイチャモンに唯々諾々しないで理路整然と
説明して相手と渡りあうべきだ。