景気と人口(3)

私は帽子業界一筋で生きてきた。中学を卒業して就職を考えた時、品物が売れて
景気のいい産業に付く事がなによりと、父は鉄鋼か繊維を薦めた。家の近くには
新日鉄広畑があり川崎製鉄姫路や山陽鋼鉄もあって、それぞれに忙しく煙突の煙は
24時間途絶える事はなかった。けれど製鉄屋に勤めれば定年まで溶鉱炉で働く
ことを思えば、青雲の志きものがあった15歳の少年は上京の夢が捨てきれずに
父を説得して東京の叔母の薦めもあって帽子の会社に就職するために上京した。
戦前の人の集まる盛り場のモノクロ写真を見ると殆んどの人が帽子を被っている。
それほどに商品が売れて帽子のメーカーも東証一部企業に数社が上場されていた。
被る御三家は、中折帽、鳥打帽、学生帽だが私が入社した戦後の頃も品物を作れば
飛ぶように売れた帽子の黄金期で財を成した人もたくさんいて経営者たちは笑いが
止まらなかったに違いない。しかし好景気がいつまでも長く続くとは限らない。
帽子を被らないアメリカ人の真似をしたとの説もあるが、それにしても無帽の時代の
到来は業界の景気を冷え込ませた。若者、学生、大人まで頭から帽子が消えた。
この小さな業界も好不況の波はまともに被り、日本の物作りの技術はあまり評価
されずに消えていくのはあまりにも淋しい現実だが時代の流れは仕方がないのか。
高度成長時代が終わって衣食が充実すると、次はインフラ整備のため住宅、道路、
港湾などに資金をつぎ込みすぎて国債は増え、最近では国債を償還するために
赤字国債を発行する悪循環のサラ金地獄に陥っている。しかも政治も一般庶民も
その事情を知ってか知らずか、意識の他なのが、なんと恐ろしい。