小泉純一郎(3)

江戸時代、文書の配達は主に飛脚が走っていた。値段は江戸から京都まで
届けるのに23両、昼夜連続の特急便ともなると35両も掛かったと云う。
一般市井の人たちの家庭の月々の生活費が約1両だったから金額からし
とても利用出来るものでなく公文書か大商人に限られていた。それを改革
したのが「郵便の父」と言われた越後生まれの前島蜜(1835-1919)だ。
明治政府に勤めていた彼は外国に出張した時にイギリスが国内同一の安い
料金で信書が配達されている事を知りその制度を持ち帰り日本に導入した。
郵便為替、貯金や郵便取り扱い所(後の特定郵便局)も明治4年に始まった。
その方式は大成功で経済の発展にも大いに寄与して文明開化の華とも言われた。
それから134年の歳月が流れ肥大化した郵便事業は約26万人の国家公務員と
約100兆円とも云われる不良債権を抱えて政府にとってはお荷物的な存在だ。
郵政民営化は小さな政府をめざす小泉内閣の本丸だが明治の初めに行われた
民間から国有化にした事業を民間に戻す作業は一朝一夕には出来ない難工事だ。
国家財政が破局的な赤字に、それは誰が政権を取っても必ず通らねばならない
関所のようなもので避けては道が開けない。それを読み違えた人が30数人いた。
造反組の一人、田中真紀子が吠えた「いいですか、あのオッサンの元は横須賀の
チンピラなんですよ。小泉さんは消費税を上げないなんていってる。じゃあ辞めた
とたんにアップが何%なのか、受益者の負担をはっきり言わないといけないのに
総理は頭が悪いから数字を分かっていないんじゃないですか。暑うて、暑うて、
私は越後の白雪姫と言われていたんですが、選挙のときは左手だけが半分日焼け
しまして、オラ焦げたコロッケみたいになった、タテヨコタテヨコタテヨコ・・で田中。
みなさんのお好きなように」真紀子節は確かに即意、即妙で選挙演説の会話の
人寄せ技術は見事なものだ。国民新党新党日本、美人キャリア、ホリエモンまで
小泉劇場の豪華キャストは決まった。あとは見てのお立会い・・・