長寿社会(1)

昨日の敬老の日は新聞やTVは「老い」についてのテーマが報道された。
ここ一、二年のうちに団塊の世代の人たちがどっと定年を迎え、いわゆる
老人の人口が爆発的に激増して、老齢化社会が現実のものになってきた。
65歳以上の人が人口の五分の一になる時代は老人の定義も年齢アップして
10年ほど先延ばしにしなければならないだろう。60歳ではまだまだ人生の
油が乗ってきたところで。心身は衰えず仕事を辞めるなんてもったいない。
このほど発表された長寿名簿によると100歳以上の人口は約2,5万人とか。
なかなかお目出度い話しだが、その生きる中身が充実したものでなければ
せっかく生きた価値が半減する。ご馳走を目の前にして食べないと同じだ。
私は100歳生きるとすれば余命28年だが、それは5000分の1の確率で
その幸運は、宝くじの1億円当てるより難しい。それより残された日々を
誰かの世話にならないで生きる算段をしなければならないとつくづく思う。
運動や食事等、規則正しい生活のほかに自分で出来る事は全てすることは
必然だし、男性の場合は掃除、炊事、洗濯なども、妻を頼りでなく自立の
気持ちがないと生きるチカラが失せてしまう。社会の構造もこれからは
老齢化が進み福祉や年金など徐々に制限される時代がくるのは間違いなく、
最近の好景気や石油高騰からのインフレ懸念が心配の種だが、介護保険
負担増しや、消費税等の増税の覚悟も必要になってくる。現在のような
老人優遇のサービスも減らされていくに違いない。年寄りが増え続けて
福祉賛成、増税反対などツジツマの合わないことは不可能な計算だ。
健康を保つ事、無駄遣いをしない事、思考を持ち続ける事、残された
人生を充実するかしないかは己の生き方に懸かっている。