長寿社会(3)

先日の夕刊の「よみうり寸評」に「シルバー川柳」の今年の入選作を
見て思わずなるほどと笑みが出た。「忘れえぬ人はいるけど名を忘れ」
「診察券五枚で週休二日制」「老木は枯れたふりして新芽出し」見事!
川柳を詠む感性とユーモアがあれば老いは忘れるように過ぎていく。
「大器晩成」という言葉があるが、誰でも「器」の一つは持っていて
小さい時に開花する人もあれば、熟年を過ぎて花を咲かせる人も多い。
総じて若くして大成した人はそれに甘んじて、年を取って名声だけで
食べている人が多く大学の閑職やその道の審査員でお茶を濁している。
TVなどで、若いときのたった一曲のヒットで老いた姿を晒している
歌手がいるが哀れさを感じるだけで、歌の背景や情感は再生出来ない。
なにごとも「器」は晩成がいいと思う。年を重ねれば、肉体の衰えは
仕方ないが感性の進歩は持続のあるかぎりは、ますます磨かれていく。
私は55歳からギターを習い始めて、60歳を過ぎてからラテン音楽
弾き語りに挑戦した。ラテンを選んだのは旋律やリズムの素晴らしさも
一因だが恋の歌が多いからだ。人前で弾いて「上手」と褒められれば
単純にその気になり、つい練習にも身が入る。それでいいと思う。
ときどき老人ホーム慰問で、昔の歌を歌うとき弾き語りをやっていて
良かったとしみじみと感じるようになった。慰問するのも、されるのも
音楽は共通の喜びや哀しみを分かち合えるような気がしてとても嬉しい。
青春=若人ではない。生涯青春の気持ちが生きる楽しさを演出している。