内憂外患(32)

昔、聖徳太子が政権を握っていた頃、大陸には隋という世界最強の国があった。
太子は日本との関係を上手く取り持つために小野妹子を外交特使に派遣した。
「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」有名な文章だ。
隋は怒った。なにが日没するだ!けれど朝鮮半島高句麗と抗争中だったので
日本と争うわけにもいかず答礼使を付けて特使を帰してきた。当時の遣隋使は
今で言えば外交官のようだが、粗末な舟で荒海を渡り半分以上は命を落とした。
それほどまでして命がけで果たした仕事は国への忠誠心以外のなにものでない。
1500年も昔から日中韓は競い合ってお互いを意識しながら国家の存亡を懸けて
生きてきた葛藤のようなものだ。隣国だから羨望や嫉妬からくる恨みつらみが
後を絶たない。歴史的にも元寇の乱、朝鮮侵略先の大戦など争いは続いたが
今後も競い合い争いごとも多々あるだろう。けれどそれが互いに切磋琢磨して
成長するのが人々の知恵だし、中韓との付き合いも決して悲観はしていない。
異人種が隣り合って、これは地政学的にも仕方がないが先の常任安保理投票も
ドイツはイタリアが、ブラジルはアルゼンチンが、インドはパキスタンが反対を
表明したし、日本は当然に中韓に反対されて常任理事国入りを果たせなかった。
国連や中韓には言いたい事は山ほどあるが、それはさておき聖徳太子の時代も
現代もお隣付き合いに差が無いのは人の知恵の発達もたいしたことはない。