隠居の独り言(11)

私個人的には無信心、無宗教である。わざわざ個人的にと書くのは本家では代々
浄土真宗西本願寺派門徒で故郷に帰れば立派な墓もあるし親戚一同はとても
信心深く法事は欠かすことなく執り行っている。先祖は江戸時代前期に本多家の
改易後に姫路藩の殿様になった酒井家の家老を勤め由緒ある家柄と聞いている。
そのような立派な家系も分家の子孫はそれを粗末にして貧乏三昧の暮らしをし
そのまた子孫の私は小さい時は母に連れられキリスト教会に入って賛美歌を歌い
旅の通りがかりの神社では氏子でもないのに参拝をして、オミクジまでいただく
バチ当たり的な事をしているがヤオヨロズノカミと知り合って悦に入っている。
神様だって私のような氏素性の無いどこぞの馬の骨が何の予約もなくやってきて
拝んでいくのだからきっとご迷惑かもしれないがこれで良いと自分勝手に決めて
いるのだからお許しになっているに違いない。今年の初春も巣鴨とげぬき地蔵
愛宕神社、牛島神社、日枝神社浅草観音、亀戸天満、水天宮、隅田の七福神
それでもちゃんとお賽銭を投げ合掌し、お寺さんでは線香を焚いて拝んできた。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるみたいな信仰心では心もとないがそこは日本人の
アバウト的な考えであの世に行ったら閻魔様にこっぴどく叱られることだろう。
と言って、昔から真面目に神社参りをしている人は少なかったらしい。俗諺に
「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」伊勢神宮にお参りした後には「精進落とし」
浅草鷲神社でも酉の日は後ろにある歓楽街は賑わったという。以下自粛・・・