隠居の独り言(27)

「隠居」を広辞苑では「世事を捨てて閑居する事・家督を譲って隠退する事」
とある。その定義からすれば本人は、えせ隠居もいいところで仕事をしながら
遊んでいたりで自由が有りそうでなく例えば二三日の旅行でも名目が必要で
「ぶらりと出かけます」とはいかないのが辛いところだ。ヒマも自由もない
隠居なんて可笑しな話だが、そこは自営業の気楽さで適当に理由を付けて
道楽の時間を作り好き勝手な事をさせてもらっている。さすがに歳のせいか
海外旅行などは出来なくなったが高齢者優待のJRの「ジパング倶楽部」に
入って鉄道の旅を楽しんでいる。会費は必要だが二三回利用すれば充分に
モトがとれて少し遠出をすればホテル代も節約出来て結構な制度と思う。
ついでに書くなら都内在住者には70歳以上にはシルバーパス券があって
都内のバスや都営地下鉄は無料にしていただいているが物好きの隠居には
見聞が広がってうれしい事この上なしだ。都内には名所旧跡が結構あって
新しい発見もありヒマをみては小さな放浪の旅をしている。歳を取る事は
いいものだと思えるのは若い時と違ってアクセクと働かなくても、明日の
事を気にしなくてもいいから。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の冒頭に
「昨日またかくてありけり 今日またかくてありなむ 
この命なにを齷齪(あくせく)明日をのみ思いわづらふ」と書かれたが
過去から現在、未来へと滔々と流れる“とき”に身を任せているのが隠居の
処世訓だろう。