隠居の独り言(75)

歳を重ねると若い時にあれほど悩んだ事やコンプレックスに苦しんだ事も
薄らいでいくことに気がつく。その一つが学歴で仕事上での雑談の場合も
出身校を聞かれる時があるが、最終学歴が田舎の高等小学校では恥かしく
話題から出来るだけそらした。今でも高校野球や大学の催し物が心底から
好きになれないのは長年に亘るコンプレックスの後遺症かもしれない。
履歴書や営業経歴書を書く時にも学歴の欄はなにも書かずに通したが
最近になってやっとその呪縛から解放されてむしろ良かったと思っている。
「人生には卒業学校名の記入欄はないのである」は松本清張の「半生記」の
一節だがその通りだと思うようになってきている。松本清張の最終学歴は
尋常小学校だが同じ作家の吉川英治長谷川伸なども小学校中退で社会で
差別されて下積みの辛い苦労に耐えながらもコンプレックスをバネにして
あの不朽の名作を残した。彼らも若い時分は随分と悩み苦しんだと思う。
世の中の学歴社会は今も昔も変わらず「お受験」だの有名大学だの親たちは
血眼になって子供たちを塾に通わせ習い事に熱中している。少子化の問題も
根っこの部分は構造的なことで学歴優先社会を直さないと日本の人口減少に
歯止めが掛からない。堅苦しいものも不要になった歳になって気がついた。
人間オギャーと叫んで黙って死ぬまで己一人の命、誰からも文句言われる
筋合いは無い。腕一本、学歴や肩書きの無い人生もなかなかいいものだ。