隠居の独り言(85)

一昔前までは改憲を論じたために閣僚を棒に振った政治家もいたし
話も出来ないほど遠い存在のように思えた憲法論議の時代があった。
改憲とはすぐに危険な戦争への道を歩き始めると思う人が今も多い。
日本人はそんなに阿呆なのだろうか。敗戦の悔しさ苦しみをあれほど
体験して同じ過ちを犯すほど日本人は愚かしいとは到底思えない。
戦争中も相手国の国旗を燃やしたり傷つけたりしない誇りがあった。
そんな日本がなぜ無計画な破滅の道を歩んだのか今でも不思議に思う。
もちろん9条の理念の素晴らしさは誰が読んでも納得が出来るし文句の
付けようが無いが護憲論はこの理想を高く掲げアジアから世界に広げて
活かす工作をするべきだと言う。けれど理念で人は動いただろうか。
人類の歴史は戦争の歴史でもあるように人種、宗教、国家がそれぞれ
違えば争い事は必然的だし言葉だけのきれいごとでは済まされない。
憲法が出来て60年が経ったが果たして60年前より世界中の紛争地は
減るどこらか増えるばかりで理念はどこへ行ってしまったのだろう。
恐ろしい核兵器保有国も60年前はアメリカだけだったのに今では
10カ国以上になっている現状は言葉だけではどうにもならない処に
来ているのを護憲、改憲を問わず日本の立場を冷静に考えるべきだ。
戦後も60年以上経ち日本の対外戦後処理の謝罪や賠償などの措置は
殆どが終わったと思う。現在生きている人たちの大半は戦争の経験が
無いのだから責任を負う事はない。人が生きるように国も生きている。
時代の経過とともに治安も昔と較べて悪くなって小学生の女子でさえ
柔道、剣道、空手など護身術を習っているのが多いのは、自分の身は
自分で守る、悲しいけれどそれが世間の流れだ。憲法改正は若い人が
歴史を顧みてこれからの世界の情勢を考えて決めればいいのであって
古い戦後のしがらみに縛られる事はない。私は改憲に賛成する。 了。