隠居の独り言(87)

GWの後半は疲れを癒すように雨に濡れた。雨は大気中の水蒸気の粒が
次第に大きくなり重くなってやがて地上に落下する液体だがそのように
書くとミもフタも無い。「雨を感じる」のは人間だけで春雨、花散らし、
菜種梅雨、初夏になれば五月雨、卯の花腐し、夕立等々で雨のひとつも
言葉で楽しむことは人間の持つ高度な感性の表れで日本人はさまざまな
形容で雨を愛しんできた。「遣らずの雨」は男女の別れを惜しむ言葉だが
今では文明が発達して雨対策も万全の世の中では死語になってしまった。
技術革新の時代は何もかもが便利になって良い反面、今まで長年の苦労が
水の泡になることもある。先日鬼籍に入った私の古い友人は小僧の頃から
時計職人を目指し独立したのも束の間、時計自体が使い捨ての時代に入り
職を変えてその後苦労の人生だったと聞く。でも時計はデジタル表示より
アナログ表示のほうが、人間味があるような気がして機械にも心が通って
いるように感じられる。昔は「読み書きソロバン」と言われてソロバンを
猛練習したものだが、今では計算機が計算やパーセンテージまでも瞬時に
はじき出してソロバン自体は無用の道具になったが、計算機は単に人間の
指示通りに動くだけで計算を楽しんだり、数の駆け引きなど人の気持ちや
高等な技術は入らない。私は今もギターを習っているが先生からいただく
五線譜も「手書き」の譜面は先生の温もりが伝わるようでとても嬉しい。